和歌山県

九度山(九度山町)

九度山は高野山への入り口にある。高野山を開創した弘法大師(空海)が、女人禁制のため入山できず麓の慈尊院に滞在する母親に会うため、一月に9度は下山したことから、九度山の地名が生まれたという。時は下って、関ヶ原の合戦に敗れた真田昌幸、幸村親子が14年間にわたってこの地に住み、大坂冬の陣には九度山から出兵し、大阪城南側に真田丸を構えた。真田親子の住居跡に「真田庵」(善名称院)が建っている。

   
  九度山の俯瞰(和歌山県九度山町)2019.02.02   36×51p  
  ポカポカ陽気との天気予報だったのでちょっと遠出することにした。雪景色狙いで滋賀県へ行くか、スケッチ枚数の少ない和歌山県へ行くか迷ったが、和歌山県を選んで九度山町へ行った。町外れの道の駅「柿の里くどやま」に車を止めて周囲を見渡すと、町並みを俯瞰できそうな高台に柿畑が広がっている。九度山は真田幸村が14年間過ごした地として知られるが、富有柿の産地としても有名である。坂を上り柿畑の端まで行くと期待通りの風景が広がっていた。手前が九度山町九度山、紀の川の対岸は橋本市高野口で、気が遠くなるほどの家数だが、背中から暖かい日射しを受けて根気よく描いた。  
 
 
   
  「松山常次郎記念館」付近@(九度山町九度山)2019.02.02   F6  
  以前「いらかぐみ」の皆さんと九度山へ行ったことがあり、「真田庵」の周辺に古い民家がたくさんあったことを覚えていたので、とりあえずその付近へ行ってみた。2016年にNHKの大河ドラマで「真田丸」が放映されたため、町興しの一環として「真田ミュージアム」という施設が新設されたようだが、その裏手に大正から昭和にかけて政界で活躍した松山常次郎氏の記念館があった。前の道は旧街道らしく、古い家が並んでいるので、これを描くことにした。松山氏の長女・美知子さんが画家・平山郁夫の夫人だそうで、館内には平山画伯の作品も展示されていることを、帰宅後、道の駅でもらったパンフレットを読んで知った。  
 
 
   
  「松山常次郎記念館」付近A(九度山町九度山)2019.02.02   F6  
  松山常次郎記念館の付近で角度を変えてもう1枚描いた。記念館の左側の家を主役にしたが、この家の煙出しが屋根の棟より少し横についているのが珍しかった。普通、煙出しは棟の真上についているが、記念館をはじめ、九度山の民家はでは少し横にずれて付いているのが特徴であった。  
 
 
   
  「真田紐工房」付近(九度山町九度山)2019.02.02   F6  
  真田庵の前の細い道を東に歩くと、道は急坂となり、家の並びが面白く、背中から日が当たるので、この場所でもう1枚描くことにした。手前の家に「真田紐」という看板が掛かっていて、マップで確かめると「真田紐工房」とあり、真田紐織り体験が出来るという。真田紐は茶道具などの木箱に掛ける平たい織り紐で、かつては甲冑などにも使われていた。九度山に蟄居していた真田親子が生計のために全国に販売したとの言い伝えがあるが、起源はチベットで紐を意味する「サナール」が語源との説もあるとか。  
 
 
「真田庵」(九度山町九度山)94・03・27        F8
真田昌幸、幸村親子が14年間にわたって閑居した住居跡に「真田庵」(善名称院)が建っている。江戸時代の建造だそうだから、もちろん真田親子が住んだ家ではないが、正面から見ると文字通りお寺だが、横から見るとまるでお城に見える。寺の横の路地に迷い込み、この不思議な建物を描いた。

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