和歌山県

橋本、東家(橋本市)

橋本は高野街道と大和街道が交差する場所に発展した町で、古くから交通の要衝として栄えた。最近は大阪への通勤圏に組み込まれ、近くには大規模なニュータウンもできている。南海電鉄高野線・橋本駅の近くにかつての賑わいを感じさせる町並みが残っていた

橋本1丁目A1(橋本市)09・06・26   36×51cm
下の絵を描いてから5年経過している。この日は奈良県の五條へ出かけたが、せっかく遠方まで来たのだからと、県境を越えて橋本まで足を延ばし、前回と同じ旧旅館「吉兆」の建物を目指した。1915(大正4)年に大阪からの電車(当時は高野山登山鉄道)が橋本まで開通、駅前に40軒あまりもの大旅館街ができた。その後電車が高野山まで延伸され、旅館街もさびれたという。「吉兆」といえば高級料亭で知られるが、屋号としてはこちらの方がどうやら先輩のようである。(橋本出身のMさんから、こちらの方は「きっちょう」ではなく「よしや」と読むとご指摘をいただいた)

橋本1丁目@(橋本市)04・10・07 アルシュ36×51cm
旧大和街道沿いに開けた「ほんまち商店街」には伝統的な建物が数多く残っている。ただ、多くの地方都市の商店街同様、シャッターを閉めたままの店も少なくない。商店街を歩き、珍しい3階建ての料理屋さんを見つけてスケッチした。その名前も「吉兆」という。近くには「一力」というお好み焼き屋さんもあった。


東家4丁目(橋本市)04・10・07 アルシュ36×51cm
「ほんまち商店街」の西側に「東家(とうげ)商店街」が連続している。その間を流れる橋本川の橋の上から西を向いて2枚目を描いた。ちょうど下校時になり、小学生の群れが次から次へとやってくる。「おっちゃん、どこから来た」「何を描いている」とお決まりの問いかけの中に、「うまいなあ」という言葉が混じるとやはり嬉しくなる。お礼にランドセル姿を小さく描き込んでおいた。

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