島根県

大森銀山(大田市大森町)

石見銀山(大森銀山)が開発されたのは鎌倉時代末期とされるが、江戸時代には天領となり大いに発展した。最盛期の大森の町はの人口は20万人に達したといわれる。江戸の人口が40万人ころである。明治時代になっても細々と採掘が続いていたが、大正時代に閉山となった。今の大森の町並みは狭い谷筋に細々と続いており、そんなに多くの人々がここに住んでいたとはとうてい想像できない。残っていた町並みは1987年(昭和62年)に重要伝統的建造物群保存地区に選定され、2007年(平成19年)7月にこの町並み含めた銀山の遺構が世界遺産に登録された。

大森銀山の町並A(大田市大森町)2014.06.01     36×51cm
約1キロほど続く大森の町並みのちょうど中央あたりに「観世音寺」というお寺がある。町並みを貫く道路にはみ出すようにそびえる岩山の上に建っており、そこへ登ると境内から大森の町並みが俯瞰できる。16年前に来た時にも登った記憶があるが、当時は俯瞰を描くということにそれほど関心がなかった。下左の写真はお寺の山門のところから見た銀山方面。やがて家並みが途絶え、間歩(まぶ)と呼ばれる坑道の跡などがある。下右の写真が観世音寺で、石段を上がったところにある赤い建物が山門。スケッチしたのは代官所跡などがある町の入り口方面。ちょうど山門の日影が伸びており、風も涼しいので、ゆったりした気分で描いた。2泊3日の島根スケッチの締めくくりに大好きな俯瞰が描けて満足だった。午後3時。もう1枚描きたい気持ちもあったが、自宅は400キロ先。欲張らないことにした。

大森銀山の町並み@(島根県大田市大森町)2014.06.01     F6
今回、いらかぐみのオフ会に合わせたの島根県スケッチの最後に大森の町並みを選んだ。いらかぐみのメンバーは午前中にここを訪れたようだが、私は昼まで温泉津温泉でスケッチしていたため、午後になって、1人で訪問した。世界遺産になってから、混雑を避けるため遠くに新設した駐車場からバスで訪ねるパークアンドライド方式になっていた。1998年7月にもこの町を歩いているが、世界遺産になってからは初めてで、観光客の数とおしゃれな店がうんと増えていた。軒を借りた左側のお宅は、大都市の繁華街で見かけるような店だった。

右の絵は1998年7月のスケッチ。着色もせず放置していたが、今回改めて古いスケッチブックから探し出してきた。
                              
                              1998.07.20  F8











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