大阪府

富田林・寺内町その2(富田林市)

寺内町の入り口に「町中くわえきせるひなわ火無用」という道標が立っている。宝暦元年(1751年)にできたものだそうで、当時からこの町の人がいかに火の用心をしたかをうかがえる。確かに古い町にとって火事が一番怖い。(下に中井家の火災写真あり)

   
  富田林・富筋A(富田林市富田林町)2020.02.04     F6  
  立春のこの日は春のように暖かだったが、それでも日当たりの良い場所を選んで2枚目を描いた。富筋という南北の道に面しており、元酒造業の仲村家(左側)と元呉服商の上野家(右側)が向かい合っている。下に掲載している富筋@の場所を反対側から眺めたアングルである。  
 
 
富田林・本町(富田林市本町)2013.09.07      F6
悠彩会の13年9月度スケッチ会が富田林・寺内町で開かれた。富田林・寺内町は数えられないぐらい何回も訪問しているが、電車で行くのは珍しく、富田林駅から寺内町への道も初めて通ったが、その道沿いの本町で見つけた家並みをとりあえずの1枚目に。駅に近い本町は寺内町の区域(重伝建地区)から外れているが、いかにも重厚な家々があった。

富田林・富筋@(富田林市富田林町)2013.09.07      F6
上の絵を描いた後、改めて寺内町の中を歩くと、そこここで悠彩会メンバーが描いておられる。私自身はできれば新規の場所を描こうと心掛けた。富筋という南北に道に面して大阪府有形文化財の仲村家(右側)と上野家という2軒の旧家が向かい合っている場所で、「ここは初めて」と思いながら描いた。

富田林・中井家あたり(富田林市富田林町)2013.09.07      F6 
寺内町の中心部を南北に貫く城之門筋はこの町を代表する通りで、スケッチポイントも多くこれまで何回となく描いている。南の端まで歩いて、中井家(左)と木口家が向かい合う場所を選んだ。(↑の画像をご覧いただいて、いつもと違うなと感じられたと思う。スケッチに失敗し、絵が紙の下の方に偏ってしまったため、空白を埋める狙いで空を多少工夫した。しかし、いつものようにカラーコピーをスキャンする方式(→の画像)では、その工夫が吹っ飛んでしまったので、デジカメで撮影した画像(↑)を掲載してみた。)
     
       (2018年9月7日、中井家は火災で全焼した)

富田林・奥谷家あたり(富田林市富田林町)2013.09.07      F6 
いつも悠彩会スケッチでは昼食会後自由解散となる場合が多いが、今回は夕方、大阪の天王寺で反省会を行うことになり、午後もスケッチを継続することになった。ということで次に、城之門筋に面した奥谷家辺りを描いた。このお宅は富田林でも最も魅力的な構えで、2、3度スケッチしているが、今回はこれまでとは反対の北側から描いた。左側から描き進めるので、右上部の煙出しを画面に収めるのにちょっと苦労した。

富田林・東林町(富田林市富田林町)2013.09.07      F6
この日はもともと朝から雨の心配をしながらのスタートだったが、結局雨は降らず、傘が大いに邪魔になった。町の南端の東林町で最後の1枚を描いていると、集合時間間近い午後4時にパラパラと雨が降り出した。これを機にスケッチ道具を納め、初めて役に立った傘を差しながら駅へ向かった。

御坊町D(富田林市富田林町)2012.05.13     F6    
富田林・寺内町で開かれた河内を描く美術会スケッチ会では結局、御坊町通りばかりで描く結果になった。御坊町通りはメーンストリートの堺町通りの1本南にある。興正寺などのお寺の裏口が並んでおり、重厚な町家はないものの、町並みにとても変化がある。下の御坊町Bよりほんの少し西側から。

御坊町E(富田林市富田林町)2012.05.13     F6
河内を描く美術会スケッチ会での3枚目は同じ御坊町通りをさらに西へ進んだ場所で描いた。御坊町Aと同じ場所を反対側から眺めた。

城之門筋H(富田林市富田林町)11.08.30     36×51cm
この日はある大手企業のPR誌に掲載する私のスケッチ姿を撮影するということでこの場所に出かけた。撮影場所をいろいろ検討したが、私のホームグラウンドともいえるこのポイントを選んでもらった。タイトルの城之門筋の通し番号だけでHとなる。カメラの前で描くというのはやはり緊張するもので、この絵もちょっと肩に力が入り過ぎたきらいがある。掲載誌はこちら

御坊町B(富田林市富田林町)11.08.30     36×51cm
御坊町というのは興正寺と妙慶寺という二つのお寺の裏側の道で、それが通りの名前の由来だろう。お寺の屋根が複雑に入り組んでいて、それが町並みの一部を構成している。この道の突き当たりの場所で一度描いたことがあるが、最近きれいに整備され、絵にならなくなった。

御坊町A(富田林市富田林町)11.08.28     F6
富田林・寺内町も修景・整備が進み、建物もピカピカになったものが多い。しかし御坊町で、いかにも飾り気のないこの建物が目に止まった。持ち主の方には申し訳ないが、こういうちょっとくたびれた建物が一番の好み。嬉しくなってスケッチした。

奥谷家(富田林市富田林町)10.10.07      36×51cm
この日は「河内を描く美術会」の主力メンバーによる展覧会が八尾市内で開幕したので、その訪問を兼ねて富田林まで出かけた。久しぶりの富田林なので「原点に返る」という気持ちで、下の絵とまったく同じ構図だが奥谷家という民家に焦点を当てて描いてみた。

林町A(富田林市富田林町)07.08.16 36×51cm
天気予報では「今年一番の暑い日になりそう」という。ちょっと迷ったが、日陰が確保しやすい富田林寺内町へスケッチに。旧杉山家の前へ行くとしっかり日陰もできているので、まずここで描くことにした。描いている姿がいかにも暑そうに見えたのか、隣りの奥さんがギンギンに冷えたお茶を差し入れしてくれた。この日、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で気温は40.9度となり、74年ぶりに国内最高記録を更新、大阪も38.1度だったという。全国で11人が熱中症で亡くなられたとか。

堺町A(富田林市富田林町)07.07.01 36×51cm
富田林寺内町の中心にある興正寺と妙慶寺がそろって改修工事をしていたが、千早赤阪村へ行った帰りに立ち寄ると、両方とも工事が終わっている。せっかくだからと急遽スケッチ。よくみると興正寺の屋根にテレビアンテナがたくさん建っている。「お寺さんだってテレビは見るよな」と妙に納得した。

城之門筋B(富田林市富田林町)06.10.14 36×51cm
久しぶりに富田林へ行って町内を歩くと、ブルーシートのかかった場所がずいぶん多い。前向きに建て替えや修理を行っているところもあるが、「壊れかけたのでとりあえずシートを」というケースもままみられた。町並み保存に力を入れている富田林のような町でもこうした状態だから、ちょっとした古い町並みの場合は、あっという間に消えてなくなるのも仕方がないことかもしれない。

北会所町A(富田林市富田林町)92・01.12 F8
富田林で家の構えが一番気に入っている奥谷家。北会所町に面しており、元は材木商だったそうだ。どっしりとした風格のある建物で、兜づくりと呼ばれる妻側の意匠も素晴らしい。

堺町@(富田林市富田林町)93・07・25 F8
絵を描いているとスランプというか、何を描いたらよいのか分からなくなってしまうことがしょっちゅうある。この時も何だか行き詰ったような気がして「富田林でも行ってみるか」との気分で出かけた。興正寺の北側の通りを堺町と呼び、手前の油屋だった杉田家と向こう側の木綿問屋だった田守家が城之門筋を挟んで並んでいる。

林町@(富田林市富田林町)92・04・05 F8
町の一番南の通りを林町と呼び、この通りに面して重要文化財の旧杉山家がある。この町で最古の住宅という。重文になりきれいに修復されてしまうと、どうも食指が動かないが、「これだけ何回も来ているのだから1枚ぐらいは」と思って描いた。この家の前に休憩所が整備され、息抜きによく利用させてもらう。

北会所町の東の端にあるこの越井家の絵が富田林で初めて描いた思い出深い絵である。


北会所町@(富田林市富田林町)91・06・08 F4

越井家は北会所町から富山町までの広大な敷地に建っている。裏側の回ると米蔵だったという建物があって、とても迫力がある。



富山町(富田林市富田林町)93・07・25

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