大阪府

千早ほか(千早赤阪村)

大阪府でただ一つの村・千早赤阪村は「太平記」に登場する楠正成ゆかりの地で、「一冊の絵本のような村」をキャッチフレーズにしている。この村も隣接する富田林市や河内長野市との合併交渉を進めたこともあったが、いまだに独立の「村」を保っている。

   
  千早E(千早赤阪村)2018.01.25    54×74p(P20号)  
  例年にない猛烈な寒波がやってきて、とても戸外でのスケッチはできない。このため、全紙の画用紙をパネルに水張りし、昨年7月の現地スケッチと写真を元に20号程度の絵を描いてみた。完成までに4、5日かけたが、抜群の寒さ対策となった。  
 
 アタリをとり、丁寧に鉛筆で下書き  山の部分も仕上げて、下書き完成 家の中でイーゼルを立ててていたら
家人に「画家みたい」と言われた
 
 
 
   
  千早C千早赤阪村)2017.07.31     36×51p  
 
羽曳野市駒ヶ谷へスケッチに出かけたが、あまりの暑さに音を上げ、多分涼しいと思われる千早赤阪村へ移動した。駒ヶ谷から千早赤阪村へは予想外に時間が掛かったが、その甲斐はあった。以前描いたことがある千早地区を見下ろす駐車場へ行くと、午後遅めとあってすっかり日陰になっている。久しぶりにヒグラシの鳴き声を聞きながら、極めて快適なスケッチ時間を過ごした。残念ながら添付写真の通り、この風景の真ん中に若い竹が2、3本伸びてきていて邪魔。家並み全体を1枚の紙に収めるには右へ左へと場所を移動しながらスケッチする必要がある。しかしカメラでは切り取ることができないアングルだと、満足することにした。
 
 
 
   
  千早D千早赤阪村)2017.07.31     36×51p  
  俯瞰スケッチでは主役の家並みから描き始めることが多いが、上の絵Cは遠くに見える金剛山から描き始めた。このため、背景の山の部分の面積が大きくなり過ぎ、手前の魅力的な屋根の連なりが紙からはみ出してしまった。幸い、まだ日没までに時間があるし、涼しさ抜群で気分も良いので、もう一度同じアングルに挑むことにした。とはいえ描き始めるとやはり家数が多く面倒。スケッチしている後ろを金剛山からの下山客を乗せたバスが次々に帰っていき、何だか山の中に一人取り残されたような気分になった。  
 
 
千早B(千早赤阪村)07.07.01 36×51cm
金剛山ロープウエー乗り場へ向かう自動車道から千早の家並みが俯瞰できる。下の@を描いた場所へ行ったが、今年生えた竹が邪魔をしている。仕方なく別の場所を探したが、上から見下ろすと、緑の中に赤い屋根などが散らばっていて、絵本のような風景ともいえる。

千早A(千早赤阪村)07.07.01 36×51cm
千早には役行者が修行したといわれる金剛山の登山口がある。昭和40年代の初め、集落の上の方に新しい自動車道路ができて、現在の登山口はそちらに移ったが、旧道にあるこの三叉路が古くからの登山口である。修験者の山への入り口とあって、お堂があり「南無阿弥陀仏」と刻んだ石碑がたくさん建っている。左側の坂道を登ると千早城址を経て大阪府最高峰の金剛山頂(海抜1125メートル)へ至る。

千早@(千早赤阪村)03・08・02 F8
金剛山への登山道の途中に、正成が100日間籠城したという千早城址があるが、そのふもとに広がる千早地区は狭い谷間に風格のある家々がひしめき、文字通り「絵本」に登場しそうな雰囲気である。登山口へ向かう道路から俯瞰した。

東阪1(千早赤阪村)04・03・04 F8
富田林市から千早赤阪村に入り、ちょうど家並みが切れるあたりに姿が良く、品のある大和棟のお宅がある。以前スケッチしたことがあり、再び出かけて描いた。山ひだが深く、冷え込みがきつかった。

90年秋に同じ家を同じ場所から描いている。上の絵と比べると茅葺屋根と絵の描き方に14年間の「経年変化」が見られる。



東阪2(千早赤阪村)90年秋

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