大阪府

道修町、伏見町(大阪市中央区)

ビジネス街を歩いていて、ビルの谷間に取り残されたような町屋を見つけることがある。大阪市内中心部の道修町、伏見町も戦災を免れたため、戦前からの建物が案外数多く残っている。

コニシ旧本社B(大阪市中央区道修町1丁目)    2014.11.15       F6
北浜で開かれた悠彩会スケッチ会の3枚目として、久しぶりに堺筋に面したコニシの旧本社を描いた。これを機にネットでコニシの沿革を調べてみた。コニシはは明治時代には小西屋の屋号で「アサヒ印ビール」を製造、現在のアサヒビールの前身となったという。大正時代に小西儀助商店の社名となり、アルコールのほか「コニシ・ボンド」で知られる接着剤のメーカーとなった。ずいぶん手広く事業展開していたことを知った。

土山人北浜店(大阪市中央区伏見町2丁目)      2012.11.16        F6
伏見町2丁目にあるこの建物は手打ち蕎麦チェーンの店舗になっているが、建築年代はかなり古そう。近くに友人が経営するコーヒー店があるため、この場所をよく通り、以前から気になっていた。背景に旧三越大阪店の跡地に建てられた超高層マンションが見え、その組み合わせを絵にしたいと思ったが、道路の真ん中に椅子を置くわけにもいかず、道を挟んだ駐車場の片隅に椅子を置き、肩をすぼめながら座った。

コニシ旧本社A(大阪市中央区道修町1丁目)       2012.02.24     36×51cm
堺筋沿いの道修町1丁目でひときわ目立つ「小西儀助商店」の本社社屋だった豪勢な町家を描いた。この建物を描くのは05年の下の絵以来7年ぶり。以前、この建物の北隣りに懐かしい雰囲気を残す「三越大阪店」のビルがあったが、05年に閉店、現在はザ・北浜タワーという超高層マンションに建て替えられている。

「かんてきや要」(大阪市中央区道修町3丁目)11.08.27     F5
悠彩会スケッチ会の昼食会が道修町にある古い町家を改造した「かんてきや要」という店で開かれた。昼食時間までのつなぎに、小さめの紙を使ってその店を急いでスケッチした。大手製薬会社の本社ビルなども並ぶ一画にあるこの町家は薬種問屋かなんかをやっていたのだろうが、いつの間にかチェーン店の飲食店に変身していた。

道修町から伏見町(大阪市中央区道修町2丁目)10.05.27        F6
道修町2丁目で一筋北の伏見町あたりの眺めを描くことにした。「関係者以外立ち入り禁止」との表示がある大手製薬会社の駐車場があったので、もちろん私は関係者ではないがちょっと中に入らせてもらった。ビルの谷間に残る古い家が案外面白いと思った。

小城製薬あたり(大阪市中央区道修町3丁目)10.05.27        F6
久しぶりに薬の町・道修町を歩いてみた。和風建築の製薬会社・小城製薬があり、隣接地が駐車場になっているため、店舗の奥につながる土蔵群が見える。間口はそれほど広くないのに奥はまことに深い。ウィークデーのビジネス街に座り込んでスケッチする「変なおじさん」に、忙しそうに行きかうビジネスマンはまったく無関心。

コニシ旧本社@(大阪市中央区道修町1丁目)05・01・10     36×51cm
道修町はわが国を代表する薬の町。その一画、堺筋に面して接着剤メーカー・コニシの旧本社屋がある。ビル街にこれほど立派な町屋が残っているのは珍しい。01年に建物のほとんどが国の重要文化財に指定された。並木の葉がすっかり落ち、建物が全容を現すのを待って、年初めの寒い中でスケッチした。

錢高組別館(大阪市中央区伏見町4丁目)02・08・17    F8
淀屋橋に近い伏見町でこの建物(錢高組別館)を見つけ、盆休みを利用して描きに行った。人通りもなくいつもの喧騒がうそのような街で、気持ちよく描き始めた。左側のビル(明治生命ビル)の影が長く伸びていたから「今日は涼しく描ける」と思っていたが、気が付くといつの間にか影がなくなり、太陽にじりじりと焦がされていた。

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