大阪府

大阪ビジネス街の近代建築(大阪市中央区、北区)

淀屋橋界隈は大阪のビジネス街の中心だが、このあたりは戦災を免れた地域でもあるため、大型の現代ビルの間に味わいのある近代建築のビルが数多く残っている。多くは、大阪市の人口が東京市を上回り「大大阪」と呼ばれたころの遺産である。近代建築はこれまであまり描いたことがなかったが、悠彩会のスケッチ会がこの界隈の近代建築を描くことをテーマに開かれたのを機に、自らも何枚か描いてみた。

大江ビルヂング(大阪市北区西天満2丁目)2014.09.15    F6
このビルは馴染みのある「マサゴ画廊」の近所にある。1910年(大正10年)完成のレトロなテナントビルで、下に掲載している中央電気倶楽部の建物と同じ葛野壮一郎の設計。裁判所に近いため弁護士事務所の入居を見込んで計画されたという。

旧・大阪教育生命保険A(大阪市中央区高麗橋2丁目)2012.02.24     F6
このビルは2011年8月の悠彩会スケッチ会の時にも描いたが、この日、また近くを通りかかったので、南側に並ぶ日本基督教団浪花教会と組み合わせてもう一度描いてみた。左奥(東隣)に少し見えるのが老舗料亭の吉兆本店。もちろん縁がない。

中央電気倶楽部(大阪市北区堂島浜)11.11.09     F6


8月に淀屋橋周辺の近代建築を描いたので、それなら中央電気倶楽部の建物も無視できないと思った。同倶楽部は1914年(大正3年)に電気業界関係者のクラブとして設立された。この建物は3代目で1930年(昭和5年)の竣工。建物の前でスケッチブックを広げたが、道路に面しているのは正面の1枚壁だけで、いかにも絵にしにくい。

新井ビル(大阪市中央区今橋2丁目)11.08.24     F6(部分)
このビルは北浜交差点から堺筋を少し南へ行ったところにある「新井ビル」。大正11年に旧報徳銀行大阪支店の建物として建てられたもので、国の登録有形文化財。

旧・大阪教育生命保険@(大阪市中央区高麗橋2丁目)11.08.24
高麗橋2丁目にあるこのビルは有名な辰野金吾氏らによる辰野片岡建築事務所の設計だそうだ。明治45年に「大阪教育生命保険」の社屋として建てられ、その後「大中証券」のビルとなり、最近「シェ・ワダ」というフランス料理の店となっていたようで、いろんな運命をたどってきたビルといえる。

芝川ビル(大阪市中央区伏見町3丁目)11.08.24     F6
旧三和銀行本店だった建物の通用口を出たところにこの「芝川ビル」がある。幅広く商売をしていた芝川家が昭和2年に自社用にこのビルを建設したが、スペースにゆとりがあったため、昭和4年から18年までは「芝蘭社(しらんしゃ)家政学校」の校舎として使われたという。いわゆるお嬢様学校だったらしい。現在はテナントビルとして使用されていて、レストランやショップ、事務所などが入居している。

大阪倶楽部(大阪市中央区今橋4丁目)11.08.27
「大阪倶楽部」は今から100年近く前の1912年(大正元年)に大阪での会員制社交倶楽部の草分けとして設立された。その後1914年(大正3年)には中央電気倶楽部も設立される。ただし、大阪倶楽部の初代会館は火事で焼失、現存の会館は1924年(大正13年)に完成した。国の登録有形文化財。

日本基督教団浪花教会(大阪市中央区高麗橋2丁目)11.08.27 

F6(部分)

日影を探しながら次のビルを物色したが、結局、先日描いた「大阪教育生命保険」の南隣りにある「日本基督教団浪花教会」を描くことにした。1930年(昭和5年)の建築だという。何だか気分が乗らず、途中で投げ出したくなった。ボツにしようかと思ったが、せっかく暑い思いをして描いたので…。

北浜レトロ(大阪市中央区北浜1丁目)11.08.27     F6
北浜の証券取引所の北側、土佐堀通に面して「北浜レトロ」というビルがある。昔は証券会社や商社のビルとして使われていたが、1997年(平成9年)に純英国式紅茶専門店として生まれ変わったという。現在の「北浜レトロ」ビルは背の高いビルに挟まれて、ちょこんと建っている感じだが、02年まではこの西側に西田三郎商店のレトロなビル2軒が並んで建っていたそうだ。

大阪市中央区本町1丁目へ
「近畿の旅2」(大阪、和歌山)の目次へ