大阪府

竹内街道その2(羽曳野市飛鳥、駒ヶ谷)

日本最古の官道(国道)である竹内街道は現在の大阪府堺市から奈良県葛城市まで通じていたが、そのうち大阪府羽曳野市内の古市駅付近から上ノ太子駅付近までは今の国道166号とルートが重なっている。ところがこの区間は道幅が極めて狭く、昔の竹内街道をそのまま国道にしたのではないかと疑いたくなるほど。車の行き違いは難しく、一部は国道なのに一方通行になっている。

   
   「河内ワイン館」付近(羽曳野市駒ヶ谷)2017.07.31     36×51p  
 
たまらないほど蒸し暑い日が続くが、絵の在庫が切れたので、春に「河内を描く美術の会」からスケッチ会の案内をもらった羽曳野市駒ヶ谷を思い出し、行ってみた。スケッチ会は所用で欠席したが、案内地図には詳しいスケッチポイントから駐車場、トイレの場所まで詳しく書き込まれている。その地図を参考に「河内ワイン館」の近くでまず1枚描いた。このポイントは竹内街道そのものではなく、枝道へ入ったところだが、街道は国道なのに道幅も似たようなものである。ワイン館の背後の丘陵には広々としたブドウ畑が広がっていた。






最初のスケッチは→→(F6)。スケッチが狂っていて何となく気に入らないので描き直した↑↑。


 
 
 
 
   
   駒ヶ谷駅付近(羽曳野市駒ヶ谷)2017.07.31     F6  
  駒ヶ谷でスケッチするのは実は2度目。以前、いいなと思ってスケッチした場所が、新しい住宅に建て替わるなどで、雰囲気が変わっていた所も多かった。駒ヶ谷駅から至近距離のこの狭い路地は以前にも描いているが、下に絵があるとおり、7年前と比べまったく変化がなかった。幸い日陰も確保できるので2枚目に選んだ。  
 
 
   
  竹内街道沿いの民家大阪府羽曳野市駒ヶ谷)2017.07.31     F6  
  町内を通り抜ける竹内街道に面して重厚な家が2軒並んでいる場所があったのでもう1枚描くことにした。道の西側にできた日陰に入り込んだが、先ほどまで太陽に照らされていた路面なのでまだ暑い。全身から汗が噴き出してきたので、これで切り上げ、涼しい場所へ移動することにした。  
 
 
駒ヶ谷C(羽曳野市駒ヶ谷)10.10.17       F6
この絵も竹内街道周辺の路地風景である。裏路地にもこの地方独特ともいえる白漆喰の豪華な庇を備えた建物が数多くあった。この庇の呼び方が分からないのでいらかぐみ掲示板に投稿してみたら、ただちに「持ち送り(支柱)のある水切り」という返事があった。今はガレージとして使われているようだが、もともとはどんな目的の建物だったのだろうか。

駒ヶ谷B(羽曳野市駒ヶ谷)10.10.17       F6
駒ヶ谷駅付近は竹内街道から少し外れたところにも白漆喰を巡らせた豪勢な家々が並んでいた。この絵は街道と交わる路地で描いた。この地域は竹内街道沿いの繁栄に加え、綿花など換金作物の栽培が盛んだったので、昔から豊かな村だったのであろう。

駒ヶ谷A(羽曳野市駒ヶ谷)10.10.17       F6 
この絵は飛鳥川に架かる「月読橋」を渡ったところから古市方面を眺めた竹内街道であり、国道166号である。月読橋から駒ヶ谷駅付近までが一番道幅が狭く、大きく折れ曲がった個所も2カ所ある。国道だと思ってうっかり車を乗り入れると、とんでもない思いをしかねない。この周辺の山々は一面のブドウ畑で、スケッチした場所の近くに「河内ワイン館」といった施設もあった。

駒ヶ谷@(羽曳野市駒ヶ谷)10.10.17       F6 
下の絵を描いた帰り、国道166号を通って羽曳野市古市へ出た。その途中、駒ヶ谷駅付近で車窓から絵になりそうな古い家並みが見えた。たまたま羽曳野市で開かれる「羽美協公募展」の案内をもらっていたので、その訪問を兼ねて再び竹内街道スケッチへ行った。駒ヶ谷駅付近もとても国道とは思えない道幅の狭さである。1枚目は街道に座って願永寺というお寺のあたりを描いた。空き地になっている場所にもかつては古い建物があったに違いない。

上ノ太子駅付近(羽曳野市飛鳥)10.10.13       F6
上ノ太子駅付近は地名が「飛鳥」といい、竹内街道の両側の家並みも歴史がありそうな雰囲気である。以前から気になっていたが、狭い道なので車をちょっと止めて下見することさえできないままになっていた。この日は太子町で竹内街道を描いたついでに、近くのコンビニに駐車させてもらい、急いでスケッチした。

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