大阪府

御領(大東市)

百貨店で開かれていた「懐かしの河内」とかいう写真展に行って、大東市御領で戦前に写したという作品を見た。「今はどうなっているのだろう」と思って、後日出かけてみると、その写真とまったく同じ風景が広がっているではないか。足場は悪かったが「よくぞ残っていた」と感激しながら描いた。

御領1(大東市)93・06・05 F8
このあたりは河内を代表する水郷地帯で、水路が縦横に走り、かつてレンコンの産地だった。農作業にも「三枚板」と呼ばれる田舟で出かけたという。絵を覗き込んでいたおばあさんが「私が嫁いできたころは、どこまでもハス畑が続いていましてね。夕立のとき、遠くからハスの葉を打つ雨音が次第に近づいてきたものでしたよ」という話を聞かせてくれた。右側の蔵は「段倉」になっている。

御領2(大東市)00・10・28 F8
それから6年半ほどたって、再びこの地を訪ねた。さすがに水路は途中で埋め立てられて工場が建ち、遠くの山は見えなくなっていた。しかし、田舟はそのまま。あるいは閉じ込めらて、持って行き場がなくなってしまったのかもしれない。

御領3(大阪府大東市)04・09・18 36×51cm
上の絵を描いてから4年後にまた御領へ行った。この場所だけ景色は余り変化しないが、周囲の雰囲気は確実に変わっている。「田舟」の繋いである場所はいつ行っても変わらないから、「保存」されていることが分かった。

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