大阪府

道頓堀界隈(大阪市中央区)

1612年(慶長17年)、豊臣秀吉の命により安井道頓が運河として堀を開削したのが道頓堀の始まり。江戸時代に都市計画の一環として芝居小屋が堀の南側に集められた。以来、芝居の本拠地として栄え、そのお客のための飲食街として発展した。現在でも大阪を代表する繁華街の一つで、外国人観光客でとても賑わっているが、芝居小屋のほとんどは姿を消している。

グリコの看板(大阪市中央区)2015.10.24   36×51cm
道頓堀川に面した「グリコの看板」は大阪名物として知られ、最近はこの前で記念撮影する外国人観光客が多い。川沿いに「とんぼりリバーパーク」という遊歩道が整備され、スケッチには最適の環境になっているのだが、1人でこの看板を描くのはさすがに少し気恥ずかしい。ところがホルベイン・スケッチ会がこのリバーパークで開かれると聞き、出かけてみた。午前10時スタート、講評会は午後3時からというので、グリコの看板から描き始め、御堂筋の道頓堀橋、さらに西の湊町リバープレイスまで、看板やビルを順番に時間をかけて1枚にまとめた。

道頓堀(大阪市中央区)09.10.22   F6
大阪・ミナミで開かれている展覧会を訪問したついでに、道頓堀でスケッチすることにした。観光客で溢れるこの通りでスケッチブックを広げるのはもちろん初めての経験。活気があるといえば聞こえがいいが、赤や黄色の色が氾濫し、まさに無秩序、無節操、一言でいえば下品な町並みである。

法善寺横丁(大阪市中央区)09.10.22   F6
道頓堀で描いたあと「法善寺横丁」へ行った。織田作之助の「夫婦善哉」の舞台となり、ちょっと古いが、藤島桓夫が「 庖丁一本さらしに巻いて・・・♪♪」と歌った「月の法善寺横丁」という歌でも有名である。道頓堀のすぐ南にあり、02年9月に旧中座の火災で横丁の多くが焼けたが、見事に復旧した。もともと「水掛け不動尊」と呼ばれる法善寺の門前町として発展、大阪・ミナミを代表する飲食街である。その水掛け不動尊と横丁の一画を描いた。原色が氾濫する道頓堀と比べると、ずいぶん上品な感じがする。

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