広島県

鞆の浦その2(福山市鞆町鞆)

鞆の浦が架橋問題で揺れている。鞆港内の一部を埋め立てて橋をかけ、町内を通る狭い県道のバイパスを建設しようという計画である。賛成派、反対派それぞれに言い分があり、なかなか結論がでないが、橋がかからないうちにと、03年に続き、再び鞆の浦の魅力を描きに行った。竹原へ出かけたついでに福山駅前で1泊、朝9時前から夕方5時までこの町で過ごした。

鞆港(福山市鞆町鞆)09.10.16      36×51cm 
福山駅前からバスで30分、終点の鞆港でバスを降りると目の前にいきなりこの風景が広がる。この場所が鞆の浦で一番人気のスケッチポイント。まず定番からという気分で1枚目を描いた。朝の海というのはいかにもすがすがしい。正面の白壁が「いろは丸展示館」という建物で、その左側にあるのがこの港のシンボルともいえる常夜灯である。「いろは丸」というのは坂本龍馬の海援隊が運航していた船で、1867年(慶応3年)に福山沖で紀州藩船と衝突して沈没したという。

医王寺から(福山市鞆町鞆)09.10.16      36×51cm 
2枚目は以前描き残した思いがしていた医王寺というお寺から眺めを描くことにした。鞆港を一望できる絶好のポイントで、ひまつぶしさんが何回も描いておられる。お寺の墓地の一段下に「ここで描いてください」といわんばかりの理想的な場所があった。そよ風を受けながら、びっしりと建ち並ぶ家々を端から描いていて、ふと”ジグゾーパズル”に取り組んでいる気分になった。架橋計画によると画面のちょうど中央部に向こう側から手前までドーンと大きな橋ができることになる。手前に2列に並んでいる家々の間を狭い県道が通っており、確かに車のすれ違いも難しい。

対潮楼あたり(広島県福山市鞆町鞆)09.10.16      F6 
鞆港バス停近くの高台に福禅寺というお寺があり、その境内に「対潮楼」という建物がある。対潮楼からは弁天島、仙酔島などの絶景が見渡せる。かつてこの地を訪れた朝鮮通信使が「日東第一景勝」とたたえた美しい風景である。そうした絶景を私のウデで表現する自信がないので、対潮楼への上り口あたりの何でもない風景を描いた。

鞆の津の商家(広島県福山市鞆町鞆)09.10.16      F6   
対潮楼への入り口のある路地を抜けたところに「鞆の津の商家」との説明版がある元魚網商の建物があった。03年にもスケッチしたことがあるが、角度を変えると面白いので、もう一度描くことにした。けっこう日差しがきついため、日影になっている斜め向かいの電器店の店先に椅子を置かせてもらった。商売の邪魔になりそうだったが、快くOKを出してもらったお礼に、その店の看板も描き込んでおいた。

歴史民俗資料館から(福山市鞆町鞆)09.10.16      36×51cm 
この日、鞆の浦での最後の1枚は鞆港を見下ろすことができる歴史民俗資料館からの眺めと決めていた。以前に鞆の浦へ来た時もこの場所からの風景を描き残した思いがしていた。昔はここにお城があったらしく、その後は小学校が建っていたという。スケッチしながらふと足元をみると、短くなった「ステッドラー」の鉛筆が落ちていた。私も生意気にステッドラーの鉛筆でスケッチしているので、多くの人がこの場所で絵を描いているのだなあと改めて感じた。重文の太田家住宅があるあたりの家並みと海のバランスが実に魅力的である。手元が見えにくくなった午後5時、この日のスケッチの結果を反芻しながら、道具をしまった。

岡山県高梁市成羽町吹屋へ
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