鳥取県

鳥取市街(鳥取市立川町、東町)

鳥取市は1943年(昭和18年)に発生した鳥取地震で市街地の中心部が壊滅、1952年(昭和27年)には鳥取大火で市街地の大半が焼けた。山陰の静かな城下町ながら、この2度の災難で市内中心部には古い町並みがほとんど残っていない。わずかに残るちょっと懐かしい風景を探した。

   
  鳥取城趾から「仁風閣」(鳥取市東町)2018.05.05     F6   
  今回の鳥取行きはもともと鳥取城趾に建つ「仁風閣」に用事があった。仁風閣そのものは以前描いている(↓の絵)ので、城趾に上り仁風閣と鳥取の市街地を描いた。左側には回遊式の庭園があるが、城趾の石垣の上から見ると、広い広場に箱をちょこんと置いたような感じなのが残念。  
 
 
立川町4丁目B(鳥取市)10.03.21   36×51cm
鳥取市東部、鳥取城址近くにある立川町には武家屋敷町らしい町並みが残っているとガイドブックにあった。かなり広範囲に歩いてみたが、絵になりそうなのは城址から遠い旧山陰道沿いにある立川町4丁目だけだった。武家屋敷町というより街道沿いに発展した商家町のようだ。ナマコ壁の装飾がある白壁と屋根の赤瓦のコントラストが美しい。

立川町4丁目A(鳥取市)10.03.21   F6
鳥取など山陰の民家は「石州瓦」と呼ばれる赤い瓦で葺かれているのが特徴。赤い瓦は白壁によく映える。立川町4丁目にある旧家は白壁もよく手入れされており、いかにも魅力的である。もう1枚描きたくなり、アングルを変えてみた。家の前に邪魔な車が止まっているが、これもアクセントに。実は迷惑駐車の犯人は私自身。

立川町4丁目@(鳥取市)10.03.21   F3
鳥取へ行ったのはスケッチが目的ではなかったが、スケッチ道具は持っていった。ところが天候が優れない。とはいえ、ずっと雨が降り続いているのならあきらめもつくのに、時々からっと晴れるのでその気になる。鳥取市内でわずかに古い町並みが残る立川町4丁目へ行って、小さなスケッチブックを広げた。とたんにあられ交じりの雨が降り出し、おまけに風が強い。軒下に逃げ込んだが画用紙はすっかり濡れてしまった。

仁風閣(鳥取市東町2丁目)10.03.21       F6
鳥取県の現在の人口は約60万人で、全国47都道府県中、第47位に甘んじている。しかし、旧鳥取藩は32万石という大藩であった。鳥取城址に「仁風閣」というイタリアルネサンス様式の素晴らしい明治建築があり、国の重要文化財に指定されている。1907年(明治40年)に皇太子殿下(後の大正天皇)が山陰地方に行啓された時の宿舎として旧藩主の池田仲博侯爵が建てたという。かつての鳥取藩の財力を感じさせる建物である。

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