滋賀県

葛川町居町ほか(大津市)

昔、鯖街道と呼ばれた国道367号線に沿って安曇川のさわやかな流れが走っている。花折峠を越え、川沿いを北に向かって走ると小さな集落が次々に姿を現す。今は大津市域に含まれているが、昔は葛川(かつらがわ)村と呼ばれていた。もうすぐで朽木村というあたりで、川の対岸に姿の良い集落・町居町(まちいちょう)が見えてくる。

   
  葛川町居町・18夏−1(大津市)2018.08.17     23×41p   
  この夏は連日「命に関わる暑さ」が続いたうえ8月に入って個展を行ったため、スケッチからすっかり遠ざかっていた。ところがこの日は、最高気温は30度を超えるものの湿度が低いとの予報で、朝からきわめて爽やか。それっとばかり車を走らせた。滋賀県の「在原」も考えたが、少し近い「町居」を選んだ。取りあえず、安曇川の対岸から1枚描いたが、やはり日陰が良かろうと道路脇の杉林の中に入ると、風も強いためなんと”寒い”。車の中にあった長袖のジャンパーを羽織って寒さを防ぎながら描いた。  
 
 
   
  葛川町居町18・夏−2(大津市)2018.08.17   36×51p  
  葛川町居町へは実は3度目なのだが、このアングルは「滋賀の集落の絵ならお任せあれ」という藪田先輩のサイトで見つけた。町居町は14、5軒が一筋の通りを挟んで並んでいるが、その一番北側、町居神社への参道へ行ってみると、藪田さんの絵で見覚えのある風景があった。この辺りは有名な花折断層に沿った狭い谷間にあるが、両側の山々と並行に三角形の屋根が並ぶ様は、谷の深さを強調しているように思えた。  
 
 
   
  葛川町居町18・夏−3(大津市)2018.08.17     F6  
  町居神社への参道から一段下の草地に木陰があったので、神社境内で昼食を済ませた後、続けてもう1枚描いた。この場所の後のお宅は民宿をやっておられる。寝具を干していた若主人が「昔の茅葺き屋根のころの写真がありますよ」と声を掛けてくれたが、つい拝見するのを忘れた。残念なことをしたが、これらの屋根がすべて茅葺きだったとしたら、とても迫力のある風景だと思う。  
 
 
   
  葛川町居町18・夏−4(大津市)2018.08.17   23×41p  
  橋を渡って安曇川右岸の国道沿いに戻ると、最近できたらしい町居自治会館という建物があった。その建物北側の日陰へ入ると、町居町の家並みが正面に見え、まるで”まんが日本昔ばなし”の世界みたいなので、もう1枚描くことにした。しかし、この日は気温が低く、日陰だととても寒い思いをした。  
 
 
   
  葛川坂下町(大津市)2018.08.17   36×51p  
  町居町でのスケッチを切り上げ、往路に花折トンネルを抜けたところで「いいなあ」と感じた集落へ戻った。集落を俯瞰できる国道367号脇の日陰に座った。町居町は元茅葺き屋根の家々が行儀良く並んでいたが、こちらは各家が思い思いの方向を向いて建っていて、それはそれでいかにも山村らしくて面白い。集落の中に「仲平会館」という建物があったが、仲平というのは旧字名らしく、帰宅後確かめたら、この集落は葛川坂下町に属していることが分かった。  
 
 
葛川町居町A(大津市)06.04.30      36×51cm
京都市左京区の久多というところへ一度行きたいと思っていた。京都市なのに鯖街道の梅ノ木から入った方が行きやすいという不便なところにある。しかし残念ながらあまり絵になるポイントがなかったので、葛川町居町へ引き返してスケッチした。


トタンカバーのお陰で家々はカラフル。バックの濃い緑との対比が美しい。河原にはあちこちに太公望の姿が。









葛川町居町B(大津市)06.04.30       36×51cm
安曇川の対岸から1枚描いたあと、村の中に入った。トタンカバーがかかっているとはいえ、視野に入る建物がほとんど茅葺き屋根というのは迫力がある。鯉のぼりが泳いでいる。過疎の村に子供はいないはずだから、空き家を買うか借りるかして都会から若い人が移住して来たのかもしれないなどと想像した。現にそんな様子のお宅がもう1軒あった。ゴールデンウィークとあって帰省していた親子連れが村に残る両親に見送られながら帰っていく風景もみられた。
この日は久しぶりにFさんが同行、こうした写真を撮ってくれた。
電柱は必ず描き込むことにしているが、この絵ではあまりにも邪魔。左側を描いてから、椅子を動かして場所を移動、右側の家並みを描いた。






葛川町居町@(大津市)00・04・30       F3
京都の八瀬、大原から途中峠と花折峠を越え、朽木を経て若狭に至る367号線は距離的には京都から若狭へ一番近いルートである。だから若いころ若狭への海水浴の行き帰りによく利用した。今はだいぶ道が良くなったが、かつては車一台がやっと通れるくらいの道幅で、よく渋滞した。思い出深い道である。若狭へスケッチに行った帰りにこの景色に出会った。全戸がトタンをかぶせているものの、山肌にくっついたように建つ元茅葺屋根の民家群は魅力的である。

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