大阪府

堺(堺市)

古い町並みが残っている第1の条件は戦災に遭わなかったこと。その点で、堺市の市街地部分には歴史的な建物は案外少ない。かつての堺の町並みは太平洋戦争よりずっとずっと昔の大坂夏の陣(1615年)ですべて焼く尽くされてしまっている。あの今井町(奈良県橿原市)が「陸の堺」と呼ばれていたことからして、本家の堺にはかつてどんな町並みが広がっていたのか、知りたいものだ。

旧鉄砲鍛冶屋敷A(堺市堺区北旅籠町西) 08.08.25   36×51cm 
17年ぶりに旧鉄砲鍛冶屋敷を訪ねた。下の絵と比べても全く変化がない。前の道幅が狭く、「引き」がなくて苦労していると、昔は旅籠だったという向かいのお宅のご主人が、わざわざゴミバケツを移動させて、私のために日陰と「引き」を提供してくれた。何よりの配慮だった。

山口家住宅(堺市錦之町東)91・10・19  F6
堺の中心部の古い建物の代表格である「山口家」(重文)を描いた。全容を画面に入れるため、狭い交差点の片隅に身を寄せながら描いたのを覚えている。この家は大坂夏の陣の後、江戸時代初期に建てられたとされている。

旧鉄砲鍛冶屋敷@(堺市北旅籠町西)91・10・19  F6
堺といえば「鉄砲」である。山口家の近くに「鉄砲鍛冶屋敷跡」というのがある。建物そのものの古さは知らないが、この建物と向かい合って描いていると、江戸時代に戻ったような気がしてくる。

高林家(堺市百舌鳥赤畑町)91・08・17  F6
同じ堺市でも周辺の農村地帯には豪壮な建物はいくらでもある。このお宅は百舌鳥にある高林家(重文)。訪ねて行って困った。道から見えるのは長屋門だけ。ほかの家と大差がない。申し訳ないと思いながら、向かいのマンションに無断で入れてもらい、その廊下から描いた。友人のTさんと二人だったからできた厚かましい行動である。

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