大阪府

星田(交野市)

交野市には星田、天の川、逢合橋、機物神社など七夕や星にちなんだ地名が多い。交野市ホーページによると、星田は稲作に適さないということで「乾し田」と呼ばれていたが、この地に星が降ってきたという伝説から今の字が当てられたという。大坂夏の陣の時に徳川家康がこの地に陣を張ったそうで、それにまつわる史跡もある。

   
  星田・狭い道(交野市星田1丁目)19.11.21    F6  
  この日午後から久しぶりに自転車でご近所スケッチに出かけた。隣町の星田に1カ所だけ道幅がとても狭くなっている場所があるのを思い出して行ってみた。道の左側は「光林寺」というお寺で、右側は旧家の長屋門。両方がなぜか異常なほど接近して建てられている。この場所までの道は車のすれ違いも出来る広さなのだが、ここだけは車がすり抜けるのがやっとという狭さである。にもかかわらず、自動車の通行量が結構多い。鉛筆スケッチを仕上げるまでに、何回立ち上がって道を譲ったことか。  
 
 
   
  星田・狭い道A(交野市星田1丁目)19.11.21    F6  
  「光林寺」横の狭い道をもっと進むと次第に道幅はさらに狭くなり、やがて車での左折、右折が難しそうな三叉路に突き当たる。そこから振り返って2枚目を描いた。交野市は昔からの集落が寄り集まって成立した市だけに、星田だけでなく私部、私市、倉治など主要地区内の道幅はとても狭い。中でも星田はとくに狭く、宅配便泣かせであろう。  
 
 
   
   東高野街道@(交野市星田5丁目、寝屋川市大谷町)2016.04.02    F6  
  しばらくスケッチを休んでいたので、足慣らしに近場スケッチ。たまたま見つけていたJR星田駅近くの旧東高野街道へ出かけた。東高野街道では枚方市出屋敷元町に旧街道らしい風景が残っているが、交野市内にもこうした雰囲気の場所があるのは知らなかった。行ってみると道の左側(東側)は交野市星田5丁目、右側(西側)は寝屋川市大谷町で、ちょうど旧街道が市境になっていた。スケッチを覗きに来られた近所の方が「私は90歳になるが、この風景は子供の頃とほとんど変わっていない。絵に残してくれてありがとう」と何回もお礼を言われた。勝手にスケッチに来たのに、これほど感謝されるとちょっと嬉しい気分である。  
 
 
   
   東高野街道A(交野市星田5丁目、寝屋川市大谷町)2016.04.02    F6  
  東高野街道を少し進み、振り返ったアングルでもう1枚描いた。今度は道の右側が交野市、左側が寝屋川市である。高野街道沿いだけに弘法大師への信仰が厚く、星田地区内には大師堂がたくさんあるが、この場所にも大師堂(電柱のそばの小さな建物)があった。  
 
 
星田妙見宮から(交野市星田9丁目)2014.03.04      F6
正月に星田妙見宮へお参りした時、境内からの展望がなかなか良いのを知った。この日は暖かそうだったので、それを思い出し、狭くて急な石段を神社まで上った。参拝客もほとんどいないので、失礼ながら拝殿前の石段に座ってスケッチブックを広げた。社務所の屋根越しに大阪平野北部が俯瞰できる。左上に3棟の高層ビルが見える場所が守口市の大日交差点付近。実際は4棟の高層マンションが建っているが、方向によって3棟に見える。

星田神社付近(交野市星田3丁目)2013.09.05      F6
交野市の広報誌に交野の古い町並みスケッチを連載していたのは08年から09年にかけてで、星田地区へスケッチ目的で行ったのはそれ以来である。今回も自転車でずいぶん走り回ったが、以前描いたことのあるポイントばかりが目に止まる。同じ場所を描くのはつまらないなあと思っていたら、星田神社近くでこの風景が目に入った。別に何ということはないのだが、屋根が複雑に入り組んでいる様子をちょっと面白いと思った。

星田の旧家(交野市星田3丁目)2013.09.05      F6
星田地区の中心部に星田公園という小高い丘がある。そこから星田地区の俯瞰が描けるのではないかと思って上ってみたが、全体に木が茂っていて見晴らしが利かない。仕方なく丘から下りたところにあった旧家を描いた。下の星田Bの絵と同じ家である。前の道は道幅は狭いが、地区のメーンストリートともいえる道で、けっこう人通りも多い。

光林寺あたりA(交野市星田1丁目)09.04.06      36×51cm
夏を思わせる暑い日が続くので、七夕を思い出し、光林寺あたりを描く気になった。08年6月に描いた場所(下の絵)より一歩前へ。光林寺そのものをアップで描いてみた。

光林寺あたり@(交野市星田1丁目)08.06.24  36×51cm
星田には「星降り伝説」があり、その昔、地区内の3カ所に星が降ったという。スケッチした右奥の建物は「光林寺」という寺だが、境内には注連縄で飾られた大きな岩がある。その岩が空から降った星のカケラだそうで、あるいは本当に隕石なのかも知れない。スケッチ後、お寺の名前の確かめにいったら、その山号は「降星山」とあった。いかにもそれらしい山号である。

星田C(交野市星田3丁目)08.06.24  36×51cm
梅雨の晴れ間をみつけて星田へ行った。いろいろポイントを探したがやはり、下の@、Bとほぼ同じ細い路地が一番魅力的である。せっかくだから、ちょっとだけアングルを変えてみた。この道は駅への近道なので、通り抜ける人が案外多い。

星田B(交野市星田3丁目)05.02.14 36×51cm
星田は自宅から近いのにこれまで地区内に足を踏み入れたことがなかった。交野市のよさを再発見しようという「交野市星のまち観光会議」がスタート、同会議主催の催しに参加して、素晴らしい町並みが残っていることを知った。灯台下暗しである。

星田地区を東高野街道が通っているためか大師信仰が盛んで、地区内に大師堂が15カ所もあるという。そのうちの一つ。








星田A(交野市星田1丁目)05.02.14 F3

星田@(交野市星田3丁目)05.02.14 36×51cm
BCの絵と同じ路地である。この絵を一番初めに描いた。正面の山を新宮山といい、家康が旗印をかけたという「家康旗かけ松」というのがあったというが、明治の初めごろ枯れたそうだ。

星田北1丁目(交野市)06.01.24      F8
星田の集落の北側、星田北の府道沿いにある製麺工場を描いた。同じ道沿いには自動車ディーラーが軒を連ねているが、見通しの良い直線道路のため警察がいつも「ネズミ捕り」を行っている。スケッチしているとこの日も始まった。気の毒に捕まる人がかなりいた。

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