奈良県

入谷(明日香村)

稲淵、栢森などの集落は奥明日香と呼ばれているが、一番奥の栢森からさらに奥まった山の上に入谷(にゅうだに)という集落がある。いわば”奥々明日香”である。中世以来という長い歴史を持つ集落で、今は戸数20軒足らずだが、かつては100軒を超える大集落で、小学校もあったという。栢森から山の上の方にチラッと入谷の家並みが見えるため、いつかは訪問したいと思っていた。

     
   入谷16−1(明日香村)16.05.18     36×51p  
  3年ぶりに奥明日香の入谷集落へ登った。集落の一番高いところにある神社から下界の栢森方面の眺めを期待した。しかし神社の境内へ行ってみると、雑木が茂って視界がきかない。仕方なく、以前にも描いた集落の中心部を描くことにした。3年前と比べて大きな変化は集落の周辺に獣進入防止の柵が増えたことで、神社へも柵の鎖を外して出入りする必要があった。スケッチしていても人影をほとんど見かけず、ウグイスの鳴き声ばかりが印象に残った。  
 
 
   
  入谷16−2(明日香村)16.05.18      F6   
  明日香・入谷での2枚目。集落の俯瞰を描いたとき、大和棟のお宅の煙り出し部分が気になったので、アップで描いてみた。近くにお住まいの方がそばにやって来られたので、いろいろお話をした。今の集落の戸数は20軒足らずだが「住民票が入谷にあっても、病院や介護施設に入っている人も多いため、実際に何人住んでいるのかよく分からない」とのことだった。過疎化の厳しい現実に心が痛んだ。  
 
 
     
   入谷16−3(明日香村)16.05.18      F6   
  前回同様集落の入り口に車を止めた。その場所まで下ってきて、入谷集会所の下の斜面に桜の木陰があったので、もう1枚描いた。3年前に描いた下の絵とほぼ同じアングルで、多少視点が高い。木陰にいると谷から吹き上げる風がいかにも気持ちよい。しかし、ほかに描きたい場所も見つからず、村の人にも出会わずちょっと寂しいので、このあと山を下りた。  
 
 
入谷@(明日香村)2013.05.05        36×51cm
GWの5月5日のこどもの日はあまりにも良い天気だったので、この機会に思い切って入谷を訪ねてみた。入谷への道はことのほか険しく、エンジンをうならせて坂道を登った。幸い集落の入り口に車を何台か止められるスペースがあり、そこから徒歩で少し上ったところの道端に座りまず1枚スケッチした。尾根筋に大和棟造りの民家が2軒並んでおり、絵になる風景である。谷を挟み向かいに見える山は、高取城跡がある高取山だと思う。

入谷A(明日香村)2013.05.05        36×51cm
1枚目を描いたあと、息を切らしながら坂道を上ると、少し平な地形の場所に出た。家々の配置が面白く、ここが古くからの集落の中心地らしい。近所にお住いの方がやって来られ、集落の歴史などいろいろ話を聞かせてもらった。「田んぼがないですね」と聞くと「すべて山に返ってしまった」そうである。帰宅後に調べてみると奥明日香(奥飛鳥)は2011年9月、国の「重要文化的景観」に選定されており、文化庁のHPによると「奥飛鳥地域の記録は皇極天皇元年(642年)に遡ることができ,中世末期には入谷・栢森・稲渕・畑の4大字が飛鳥川上流域のムラとして成立したとされる」とある。大変な歴史を誇る集落であった。

入谷B(明日香村)2013.05.05        36×51cm
近くに地蔵寺というお寺があり、その参道からもう1枚描くことにした。ほんの10メートルほど移動しただけなので、2枚目とほぼ同じ構図になってしまった。お寺へは何組かの家族が墓参りにやってきた。この村を離れた方々がGWを利用して故郷へ帰ってこられたのであろう。家々の間にある畑や空き地にも以前は家が建っていたという。日本中の多くの村が同じような過疎現象に悩んでいる。

入谷から栢森(明日香村)2013.05.05        F8
栢森から山の上に入谷の家並みが見える。それがこの集落を訪問したきっかけだが、下から見えたのだから上からも見えるはずと思い、集落の人に聞くと、集落の一番高い所にある大仁保神社の境内から見晴らしが良いという。行ってみるとなるほど谷底に栢森の家並みが見え、しかも遠く葛城山、金剛山までの山並みの重なりがとても素晴らしい。残念ながら絵の出来がもう一つに終わった。とはいえ再びここへ上ってくるのはちょっとつらい。

明日香村栢森へ
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