奈良県

飛鳥寺あたり(明日香村)

飛鳥寺は蘇我入鹿が発願して創建された日本で最古の本格的寺院といわれている。法興寺、元興寺とも呼ばれ、現在、奈良市にある元興寺は平城遷都のときにこのお寺が移されたものだそうだ。明日香村の飛鳥にある現在の飛鳥寺には江戸時代に再建された講堂だけがあり、寺の西側には蘇我入鹿の首塚もある。そんな歴史にはあまり強くないが、周辺には豊かな田んぼが広がり、のんびりスケッチできるポイントである。

   
  「首塚」と「飛鳥寺」(明日香村飛鳥)2018.01.16    F6  
  寒い日が続いていたが、突然、春のような日がやってきたので、スケッチと初詣を兼ねてFさんと明日香へ出かけた。明日香へは何十回と行っているのに、一度もお参りしたことがなかった飛鳥坐神社へまず参拝。その後、Fさんが飛鳥大仏を拝みに行っている間に、門の外から首塚と飛鳥寺の組み合わせを描いた。明日香を代表する景色の一つだが、このアングルから描くのも初めてである。それにしてもこの日は暖かかった。最高気温は14度とかで、途中で上着を脱ぎたくなった。  
 
 
   
  飛鳥寺あたりE(明日香村)16.09.12     F6  
  「かこう会」の皆さんは名古屋から大型バスで来られている。午後の予定を聞くと、飛鳥寺駐車場に移動するという。私も久しぶりなので、場所を移して飛鳥寺の裏門を出たあたりに陣取り、門前にあるトタン板葺きの大和棟のお宅を描くことにした。この家は何となく気に入っていて、甘樫丘の上からも含め、何回も描いている。しかし、よく見るとどうやら空き家になったらしい。狭い道の向こうには、彼岸花の咲く黄色の田んぼが広がっている。  
 
 
飛鳥寺前(明日香村)09.03.26  F6
飛鳥坐神社前で描いたあと、飛鳥寺へ。この日は少し肌寒かったので、日当たりのよい飛鳥寺駐車場の片隅に座って、その東側の家並みを描いた。

飛鳥寺あたりD(明日香村)08.04.09  36×51cm
桜咲く甘樫丘を描いたあと飛鳥寺へ。観光客であふれる境内を通り抜け、裏門近くの路地に座った。近所の人がやってきて、描いている絵をまともに見ないで「ベテランですね」と言う。「普通は飛鳥寺を描かれますから・・・」。なにしろ桜が満開の飛鳥寺に背を向けてスケッチしているので、決して褒め言葉ではなく、本当は「へそ曲がりですね」と言いたかったのだろうと思う。

飛鳥寺あたりC(明日香村)08.01.10  36×51cm
08年描き初めの第3弾として明日香へ。いつも車を止める甘樫丘下の駐車場へ向かう途中で、横目に映った景色を見て「今日はここを描こう」と決めた。好天に誘われ畑に出て作業をする人もおり、飛鳥寺の門前には観光客の姿も目立つ。

飛鳥寺あたりB(明日香村)07.06.21  36×51cm
ひまつぶしさんのHPに「甘樫丘への階段から飛鳥寺がよく見える」と書いてあったのでさっそく出かけてみた。確かによく見えるといえばよく見えるが、目の前に木の枝が茂り、かなり邪魔になる。でもお陰で「緑陰」ともいえ、涼しく描くことができた。小さくて分かりにくいと思うが、飛鳥寺の手前にある首塚も描き込んでおいた。

飛鳥寺あたりA(明日香村)06.06.07 36×51cm
水鏡の田んぼを描きに明日香へ行った。ところが予想した場所の田んぼには水が入っていなかったり、スケッチ場所に日陰がなかったりで、かなりあちらこちらを移動した。結局、飛鳥地区南側の広々とした田んぼの真ん中にある農作業小屋の日陰に陣取った。何の変哲もない田んぼ道だが、ひょっとしたら大昔の都大路の道筋をたどっているかもしれないなどと思いながらスケッチした。

飛鳥寺あたり@(明日香村)03・12・29 F8
03年の「描き納め」にしようと飛鳥に出かけた。02年12月30日に甘樫丘から見下ろした絵を描いたとき、黒いトタンをかぶせた大和棟風の民家が印象に残っていた。右側の家が新しくて気に入らないが、トタン葺きは私の好きな題材である。

明日香村・岡へ
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