三重県

関宿その2(亀山市関町)

旧東海道の宿場町で関ほど往時の姿を残している町はあるまい。自宅からそれほど遠くもなく、過去に何回も出かけている。いろんな機会に描いた絵を集めて「その2」とした。2005年1月、関町は亀山市と合併し、その一部となった。

関宿・松葉屋A(関町)02・09・28     F8
伊勢で行われた悠彩会の宿泊スケッチ会の帰りに関に立ち寄った。いろいろの場所をうろうろしたが、結局、腰をすえたのは「松葉屋」の前だった。関宿には道中に欠かせない火縄を扱う店が多かったといい、松葉屋もそうした1軒だった。ずいぶん町並み整備が進んだが、町並みの中心部にある地蔵院より西側(新所)は比較的以前の姿を保っている。

関宿・松葉屋@(関町)93・03・14     F8
この町の家々の特徴である霜よけの「幕板」が印象に残る。絵が完成しかけた時、たまたま出てきた松葉屋の隣の家のおばあさんが、絵を覗き込みながら「街道を鈴鹿おろしが通り抜けるため、冷えるんですよ。寒いでしょう。お茶でも入れましょうか」と声をかけてくれた。丁寧に断り、あとで近くの自動販売機で粒入り汁粉を買う。胃にしみ込むようにうまかった

関宿・東の追分(関町)93・03・14      F8
関宿は東西1・8kmにわたって古い町並みが続いている。一番東の端を「東の追分」と呼び、東海道と伊勢別街道の分岐点になっている。ちょうど町並みの中央部に地蔵院があり、大和街道が分かれる西の端が「西の追分」で小さな公園がつくられている。2回目の訪問のとき、東の追分にある大きな鳥居越しに「白木屋」(岩間家)を描いた。ちょうど梅の盛りだった。

関宿・新所(関町)00・08・19      F8
地蔵院から西側を「新所」と呼ぶ。このときもやはり新所にあるお気に入りの「松葉屋」を描いた。

この絵は91年のもの。「かいうん楼」(右)「松鶴楼」(左)とメモにある。格子と瓦をきっちり描きすぎて、1枚でいやになってしまった。

関宿・中町(関町)91・08・25    F8

93年の時のメモに「せっかく関の戸を目指してきたのに、看板ははずされ、壁を塗り替えているではないか。思ったときに絵にしておくべきだった」とある。元の姿を良く覚えていないが、修復はそれほど違和感なく行われたようである。

「関の戸」(関町)00・08・19    F8

伊勢市河崎へ
「東海・北陸の旅」の目次へ