三重県

伊賀上野(伊賀市)

平成の大合併によって上野市から伊賀市に名前が変わったが、やはり「伊賀上野」という呼び方に愛着がある。市内中心部は、関ヶ原の合戦のあと藤堂高虎によって整備された町割りがそのまま現在まで残っているという極めて珍しい存在である。通りがかった人が何回も「スケッチしていただいてありがとう」と声を掛けていった。古い町並みを大切にしたいと思っている人が多い証拠であろう。

上野農人町(三重県伊賀市)09.05.09   36×51cm
伊賀上野へはこれまで2、3回出かけているが、なぜかスケッチはゼロ。今回こそはと思い、いろんなサイトで下調べをして出かけた。しかし、市内中心部に古い建物が散らばっており、地理不案内もあってなかなかポイントを絞りきれない。ようやく上野天満宮(菅原神社)の東側で1枚描いた。地図で調べると「上野農人町」という場所だが、伊賀鉄道・広小路駅のすぐそばで、目の前に「広小路」というバス停もあった。建築年代の古そうな漢方薬屋さんが目を引くが、街灯には「芭蕉街」という表示があり、観光客相手の店も目立つ。

上野福居町(三重県伊賀市)09.05.09   36×51cm
伊賀上野の中心部は藤堂高虎が整備した「東西三筋、南北三町」という町割りをそのまま引き継いでいる。ポイントを選びかねて、城下で一番古い町家で登録文化財にも指定されている「寺村家」を描くことにした。「上野福居町」という町名だが、通りの名前で表現すると「二之町筋西之立町通りの辻」となるらしい。

蓑虫庵あたり(三重県伊賀市)09.05.09   F5程度
伊賀上野は松尾芭蕉の生誕地としての顔も持つ。愛宕神社の近くまで行ってふと見ると「蓑虫庵」という看板があった。芭蕉ゆかりの草庵のうち唯一現存しているものだそうで、中に入るのは見送ったが、その近所の町並みがちょっといい感じなので、小さな紙に描いてみた。

伊賀市丸柱へ
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