京都府

新町通四条上ル(京都市中京区)

繊維問屋街の新町通には今でも古い町屋が数多く残っている。祇園祭山鉾巡行に備え各鉾町では山鉾建てが行われるが、四条通や室町通はビルが多く「山鉾がある町並み」としての風情は新町通が一番。山や鉾も大型のものが多い。最初はこの通りで山鉾建てが行われる13日に出かけていたが、皆さんといっしょにスケッチするようになってからは、道具立てがそろっている14日に移した。年に一度の楽しみになった。このページでは四条通より北側の山鉾を掲載しているが、2014年に祇園祭は前祭と後祭に分かれ、北観音山、南観音山は後祭に回った。
 
 
   
  19年祇園祭・後祭「南観音山」付近(京都市中京区新町通四条上ル)19.07.21   F6  
  後祭での2枚目を描くため新町通を北へ行くと、北観音山付近で、前祭でも出会った奈良の竹居さんが描いておられた。エール交換後、少し後戻りして南観音山が見える新町通の真ん中に座った。いかにも厚かましい行為だが、ちょうど通行止めの看板が置いてあり、その場所からだと通行する人にもそれほど迷惑にはならないと思った。以前、4人の仲間と同じ場所でスケッチしたことがある(下の09年スケッチ)。普通、道路の中央は日射しが強くてスケッチなんか出来ないが、この日は曇天のうえ、たまにそよ風も吹いて快適であった。  
 
 
   
  19年祇園祭・後祭「北観音山」(京都市中京区新町通六角下ル)19.07.21    F6  
  後祭での3枚目はいつも描いている北観音山を選んだ。これも初めての試みとして道路の中央に座った。昨年の同じ日に同じ北観音山をスケッチしたときには、道端にペンケースを置き忘れるという失敗をした。今年は、南観音山を描いた紙の裏側にこの絵を描いてしまったことに後で気が付いた。このページに掲載するためにデータにするには何ら問題はないのだが、額装するには裏側のどちらかの絵を犠牲にしなければならない。2年連続の大失策で、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と誰かに叱られそうである。  
 
 
   
  19年祇園祭・後祭「八幡山」(京都市中京区新町通三条下ル)19.07.21    F6   
  北観音山を描いた後、室町通と新町通の他の山を見て回った。北観音山のさらに北側にある八幡山をまだ描いたことがなかったし、そばの民家も面白いので、最後にもう1枚描いた。  
 
 
   
  19年祇園祭・放下鉾(京都市中京区新町通四条上ル)2019.07.14    F6  
  祇園祭スケッチの2枚目を描こうと、新町通四条上ルの放下鉾の所へ行った。祇園祭スケッチでの出会いを機に楽しい交流に発展したケースが数多い。亡くなられた与堂さんと親交を深めたのも祇園祭スケッチだったし、昨年は心優しいのKさんとの出会いもあった。奈良市でスケッチ教室を開いておられるbilさんこと竹居さんに最初に出会ったのも、たしか放下鉾そばだったが、この日も行ってみるとちゃんと竹居さんが雨の避けられる軒下に陣取っておられる。それではと少し後ろに座って描き始めたが、やがてポツポツと雨。仕方なく途中であきらめ、続きは写真を撮って自宅で仕上げた。  
 
 
   
  18年祇園祭後祭・北観音山(京都市中京区新町通六角下ル)2018.07.21  F6  
  祇園祭のスケッチは2005年が最初で、このページの一番下に掲載しているように、この絵とほぼ同じ場所から描いている。残念ながら山鉾が建つ風景にあまり新鮮さを感じなくなったため、来年も出かけるかどうか分からないが、ひょっとしたら最後になるかも知れない祇園祭スケッチも最初と同じ北観音山になった。祇園祭スケッチではいろんな出会いがあったが、この日、この場所でも楽しい出会いがあった。  
 
 
   
  18年祇園祭後祭・南観音山(京都市中京区新町通蛸薬師下ル)2018.07.21   F6  
  大船鉾を描いた後、同じ新町通にある南観音山へ行った。軒の深い民家の前に座ると日陰が確保できる。ただし、次第に影が細ってくるので急がねばならない。この場所は過去に何回も描いているが、こんな町中の民家なのに「ばったり床几」が残っているので、それをきっちり描いておいた。  
 
 
   
  18年祇園祭・放下鉾(京都市中京区新町通錦小路下ル2018.07.13   41×23p  
  この日、京都で開催する浪漫G展の出展作品の搬入があったので、ついでに祇園祭の鉾建て風景を描くことにした。最近は14日に出かけることが多かったが、13日だと四条通の大型鉾は完成しているものの、そのほかはまだ「工事中」のものが多い。昼過ぎに新町通の放下鉾の所へ行くと、ちょうど鉾建て真っ最中の段階であった。近くの木陰に入り込み描き始めたが、鉾の姿がどんどん変わる。苦労しながら何とか描いた。  
 
 
   
  17年祇園祭・放下鉾(京都市中京区新町通錦小路下ル)2017.07.14     F6  
  少し時間があるので、もう1枚描こうと思い、四条通より北に建つ山鉾をいろいろ見て回った。結局「何回も描いているが北側から描くのは初めて」という理由をつけて放下鉾を描いた。今年は後祭はスケッチできなかったので、祇園祭スケッチはこれでおしまいとなった。  
 
 
   
  16年祇園祭後祭・北観音山付近(京都市中京区新町通六角下ル)16.07.20    F6   
 
祇園祭の後祭スケッチの2枚目。この日は山鉾建ての進行中の様子を描くので、なるべく作業の進んでいる山鉾のスケッチを優先しなければならない。このため「大船鉾」に続いて「北観音山」を選んだ。この場所でいろんな方に偶然出会い、まるで賑やかなスケッチ会のような雰囲気になった。祇園祭スケッチは現地着色は無理と思い、もともと絵の具は自宅に置いてきたが、この日はおまけにカメラも忘れた。しかし、スケッチ仲間に無理を言って現場で撮った写真を送ってもらい、着色の参考にした。


→の写真に写っている与堂さん(右端)は2019年1月14日にお亡くなりになりました。祇園祭スケッチでたびたびご一緒しました。ご冥福をお祈りします。(写真は歩さん)

 

   
   16年祇園祭後祭・南観音山付近(京都市中京区新町通蛸薬師下ル)16.07.20    F6  
  北観音山を描いているうちに、作業が遅れていた南観音山の姿も整ってきたので、ひまつぶしさんと並んで描いた。06年にも2人でほぼ同じ場所から描いている(このページ下から2枚目)。この日は午後3時から「曳き初め」があるため、通りには次第に人が増え、スケッチもままならなくなってきた。このためかなりラフな状態でスケッチを終えた。この後、与堂さんと3人で近くの喫茶店に入った。話題はお互いの健康問題が主。過去10年余り、皆さんと楽しく祇園祭スケッチをしてきたが「来年も描ければいいね」というのが、この日の結論だった。  
 
 
   
   16年祇園祭・放下鉾付近(京都市中京区新町通四条上ル)16.07.14  
  この日は縦長の紙に有力な鉾そのものを描いてきたが、本来のテーマである「山鉾の建つ京都の町並み」を描くため、新町通四条上ルの放下鉾のそばへ行った。ご一緒していたIさんのアドバイスもあり、少し離れたところから鉾とその周辺の雰囲気を描くことにした。絵の右側、普段は駐車場のところが大規模な喫煙エリアになっている。嫌煙時代の今ごろ珍しいなと思って、ふと座っている場所の右側を見ると「京都たばこ会館」があり「京都たばこ商業協同組合」の看板が掛かっていた。何となしに納得。描き始めてすぐに雨がパラつき始めた。しばらく傘を差したりしてスケッチを続けたが、止みそうにないので、少し早めだがあきらめて帰ることにした。  
 
 
15年祇園祭・北観音山(京都市中京区新町六角下ル)2015.07.21    F6
新町通の北観音山辺りには他の山鉾町に比べ古い町家がよく残っているため、これまで一番数多く描いている。今回はもういいかなと思っていたが、北から近づくと北観音山の向こうに南観音山が見える。「そう言えば北側からは初めて」と思い、もう1枚描く気になった。描き終わって山の南側へ行くと、前祭でも出会った「ぶらりすけっち」の竹居和彦さんが描いておられる。聞けばここ1週間ほど、毎日、奈良から初発電車で来られているとか。改めて氏の祇園祭にかける熱意を感じた。暑くもあり、私自身のスケッチは打ち止めにして、彼の素敵なスケッチを鑑賞する側に回った。

14年祇園祭・北観音山付近(京都市中京区新町通六角下ル)2014.07.21     F6    
2014年に祇園祭は前祭と後祭の2つに分かれたが、新町通にある北観音山は後祭の方に回ったため、21日に描きに行った。この山の背景に百貨店「松坂屋」の古い町屋があり、気に入っていたが、2012年に行ってみるとその建物が取り壊されており、がっかりした。しかし2014年に再びその場所へ行くと、松坂屋は三井ガーデンホテル京都新町別邸というホテルになっており、1、2階部分は以前の建物の雰囲気を残した造りにしてあった。ふとそばを見ると、奈良で「アトリエぶらり・すけっち」を開いておられる竹居和彦さんが描いておられる。それやこれやで、ここでもう1枚描くことにし、竹居さんと楽しく雑談しながらのスケッチとなった。

14年祇園祭・北観音山付近A(京都市中京区新町通六角下ル)2014.07.21     F6
祇園祭の後祭で巡行する山のほとんどは新町通と室町通の四条通より北側に集中している。これまで描いたことのない山をもう1枚描いてみようかといろいろ見て回った。しかし、もう一つその気にならない。せっかく竹居和彦さんが描いておられるので、ご一緒するのが楽しいし勉強にもなると思い直して再び北観音山のところへ戻った。氏の隣に座らせてもらい、これまで何回か描いたことのあるアングルを1枚。

13年祇園祭・南観音山(京都市中京区新町通蛸薬師下ル)2013.07.14        F6
今年も祇園祭の季節がやってきた。このところ毎年14日に、ひまつぶしさん、与堂さん、Iさんと誘い合わせ、山鉾のある町並みを描きに出かけている。午後遅くには雨との天気予報だったので、早めに家を出た。今年は新しい所で描こうと、まず最初に西の方にある油小路通へ行ってみたが、まだ飾り付けも終わっておらず、絵にならない。「午前中は通りの東側に座らないと日陰が確保できない」などと考えて、結局、とりあえずは昨年も描いた南観音山を選んだ。すぐに日陰がなくなり、次はどこで描こうかと迷っているうちに、まだ午前中なのに、突然、豪雨がやってきた。

12年祇園祭・放下鉾あたり京都市中京区新町通四条上ル2012.07.14         F6
新町通をさらに南へ行くと「放下鉾」あたりで与堂さんが描いておられた。2年前の雨の時にもここで描いたが、バックの古い町家との組み合わせがなかなかよい。しかも遠くに今描いてきたばかりの「南観音山」も見えるので、与堂さんと並んで道路の反対側に座った。家を少し早く出たため、鉛筆スケッチだけとはいえ、12時の集合時間までに3枚も描けたのは上出来。

12年・南観音山あたり京都市中京区新町通蛸薬師下ル2012.07.14         F6 
北観音山を描いた後、そのすぐ南にある南観音山を描いた。雨がパラついていたので、いざという時に軒下に入れる場所を選んだ。ところがいつの間にか空は晴れ、暑い日差しが照りつけるようになった。「それなら日影が確保できる道路の東側に座るのに」と1人でブツブツ。人出もだんだん多くなってきた。

12年・北観音山あたり京都市中京区新町通六角下ル2012.07.14         F6
ひまつぶしさん、与堂さん、Iさんらと2年ぶりに祇園祭の山鉾スケッチに行った。天気予報によると午後の天候が怪しかったので、集合時間前に新町通へ行き、北観音山あたりを描くことにした。ところがこの場所でひときわ目立っていた百貨店「松坂屋」の看板を掲げた建物がそっくりなくなっているではないか。「松坂屋」との組み合わせが気に入り、これまでこの場所で描いてきただけに何だかショックである。そばにいた鉾町の世話役らしい人に「建物がなくなりましたね」と話しかけると「新しくできる建物を見たらもっとびっくりされますよ」と。

山鉾のある町並み10−4・北観音山(京都市中京区新町通六角下ル)10.07.14       F6
新町通に面して大きな病院があり、その軒下で雨宿りすると目の前の「北観音山」が描けることが分かった。昨年、与堂さんがこの場所から描かれたのを覚えている。3人並んで座り「これで最後にしよう」と言いながら描いた。山鉾そのものより背景の土蔵の方が気になるアングルである。降りやまない雨の中で4枚、とても印象に残るスケッチ会となった。

山鉾のある町並み10−3・放下鉾(京都市中京区新町通四条上ル)10.07.14       F6
雨はやみそうにもない。昼食ではビールのお代わりをした。ひまつぶしさんとIさんも焼酎を追加している。しかし、これ以上飲めばスケッチする気もなくなると思い、気を取り直して、新町通へ行った。放下鉾の前にある喫茶店の軒下なら雨が避けられそうなので、3枚目を描くことにした。屋根が小さく画面に雨がかかるので、タオルで水滴を吸い取りながらスケッチを続けた。

山鉾のある町並み09−3(京都市中京区新町六角下ル六角町)09.07.14     36×51cm   Iさん蔵
午後になると南北の通りは西側に影ができるので、長めの昼食の後、新町通へ行った。「北観音山」の建つ六角町は古い町並みとしても一級品である。14日に描くのは初めてだが、この日になるといろんな道具立てもそろい、いかにも絵になる風景に一変していた。両側の商家では家宝の類を展示し、外から覗けるようになっている。このためだんだん見物客も増えて、目の前に立ち止まる人を懸命にかわしながらのスケッチとなった。

山鉾のある町並み09−4(京都市中京区新町通蛸薬師下ル)09.07.14   F6
山鉾建てが始まると道幅の狭い新町通は車両通行止めとなる。4枚目のスケッチポイントを物色しながら新町通を下がっていき、その通行止めの看板の前で描くことにした。「通行止めとは書いてあるが、スケッチ禁止とは書いていない」などいいながら、厚かましくも道路の真ん中に4人が陣取った。2人が椅子で、2人は立ち描きである。多人数でなければできないし、恥じらいを忘れた中高年ならではの行動ともいえる。幸い五条警察署や祭関係者からは何のおとがめもなかった。

山鉾のある町並み09−1(京都市中京区新町通蛸薬師下ル)09.07.14   F6
祇園祭の「山鉾のある町並み」を描きに行き始めてもう5年目。09年は14日に日程を設定、ひまつぶしさん、与堂さんに加え、新顔のIさんも加わった。まだ現役サラリーマンのIさんはわざわざ年休を取っての参加である。午前中は道の東側にできる影を狙い新町通りの「南観音山」をまず1枚。腕が立ち、描くのも速い皆さんといっしょなので、終始あおられるような気分で、夕方までに結局5枚も描く破目になった。

岩戸山(京都市中京区新町通で)07.07.17 36×51cm
07年の7月13日は雨で、山鉾建てのスケッチは諦めた。その代わり新町通で医院を営むTさんに誘われ、初めて新町通で山鉾巡行を見た。道が狭いため迫力がある。動く山鉾を現地では描けなかったので、岩戸山という曳き山の写真を撮って帰った。

百足屋町(京都市中京区新町通蛸薬師下ル)06.07.13 36×51cm
05年の経験を生かし、06年も同じ日に新町通へ行き「南観音山」とその南側にある「放下鉾」(ほうかぼこ)を描いた。年に1度のチャンスなので1人ではもったいないとひまつぶしさんを誘った。あとで分かったことだが、山の向こう側ではToshikoさんもスケッチされていた。
午前中、山は骨組みだけ。午後になって飾り付けが進むのと同時進行で絵を仕上げる必要がある。時間制限は午後3時まで。3時に山が完成すると同時に「曳き初め」が始まり、スケッチしていた場所はこの状態になった。




六角町(京都市中京区新町通六角下ル)05.07.13 36×51cm
「山鉾建て始まる」という新聞記事を読んで出かけた。山鉾の配置図を見ながら、バックの家並みのよさから新町通六角下ルの「北観音山」を選んだ。いかにも鉾のような形をしているが、これは曳き山と呼ばれる山である。右側に百貨店・松坂屋の看板を掲げた町屋がある。松坂屋の前身である「いとう呉服店」が呉服の仕入れのために設けた店舗だそうだ。最初の店は室町通姉小路にあったが、2年後の1749年(寛延2年)にこの場所に移したという。

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