京都府

南座(京都市東山区)

12月になると四条通りに面した南座に吉例顔見世興行の「まねき」が上がる。この興行そのものをまだ見たことがないが、まねきが上がると、あわただしさの中で「もうすぐ正月だな」という思いがしてくる。

   
  19年師走の「南座」(京都市東山区)19.12.05    36×51p  
  この日は午後1時から浪漫会の忘年会。南座の耐震工事が終わり、昨年「まねき」を上げた師走風景が復活したので、少し早めに出かけてこれを描くことにした。以前、悠彩会の忘年会に併せて、毎年、まねきの上がった南座を描くのを恒例にしていた。しかし、その忘年会が開かれなくなり、この習慣も途絶えたが、今度は好都合なことに浪漫会の忘年会が京都で開かれるようになった。ところで過去20年ほど使っていたアルシュの極細目が入手できなかったため、この絵はアルシュの細目の紙に描いた。こうし細部にこだわりたい絵はやはり極細目の紙に描きたい。  
 
 
   
  修復なった「南座」(京都市東山区)2018.12.02     F6   
  南座は2016年から耐震工事のため休館していたが、2018年11月に上演を再開、歌舞伎吉例顔見世興行の「まねき」が再び揚がった。外観は以前とまったく同じだが、3年ぶりにスケッチした。私が座った横には背後のビルにある「昼キャバ」の案内看板が置いてあり、目の前で黒背広姿のお兄さんが道行く人に店の案内をしている。スケッチを開始したのは午後3時。暖かい日だったが、午後4時になるとさすがに冷え込んできたので、ふと目が合ったそのお兄さんに「寒くなってきましたね」と声を掛けた。ニコッとしたその人がちょっと姿を消したと思ったら、近くの自販機から温かい缶コーヒーを買ってきて、黙って差し出すではないか。ありがたく頂戴しながら最後の仕上げをした。「昼キャバ」という言葉を聞くのも初めてだったが、とうてい客になる見込みはないと思われたか、私には誘いがかからなかった。  
 
 
千穐楽の「南座」A(京都市東山区)2015.12.26    F6   
毎年12月には悠彩会の忘年会が京都で開かれ、その時に歌舞伎・吉例顔見世興行の「まねき」が上がった南座を描いていた。ところが2015年は事情があって忘年会そのものが中止になった。26日に興行が千穐楽を迎え「まねき」も取り外されることに気が付き、天気も良かったので慌てて出かけた。この絵はこの日の2枚目。この付近の地理に詳しい方ならご存知と思うが、多少通行の邪魔になるものの寒さ知らずの場所に座らせてもらった。ちょうど夜の部の開演が迫り、南座の前は入場を待つ人で大混雑である。南座はこの後休館して、2016年から全面的な耐震工事に入った。


千穐楽の「南座」@(京都市東山区)15.12.26      36×51cm
2015年の歌舞伎・吉例顔見世興行の千穐楽に描いた絵の1枚目。例年より座る場所を少し変えて鴨川河畔に残っていた紅葉を入れた。車はたった2台しか描き込んでいないが、実際にはバスが連続して止まり1階部分はまったく見えない。バスが動いたすきに見えた部分を描くという努力を強いられた。四条大橋より西側で四条通の道幅が狭められたため、渋滞がよけいひどくなったようだ。

南座I(京都市東山区)    2014.12.06       36×51cm 
悠彩会の12月例会は毎年京都で忘年会を兼ねて開催される。宴会の場所も毎年同じだが、私自身もこのところ毎年同じ場所でスケッチしている。このページで見ると少なくとも4年連続である。この日の午前中はよく晴れてはいるものの今年一番の冷え込みで、描いているうちに鼻水が出始めた。

南座H(京都市東山区)    2013.12.14          F6
12月の悠彩会スケッチ会で、今回もまた南座を描いた。ちょっとだけでも気分を変えるため、粗目の紙に6Bの鉛筆で描いてみた。いつものことだが、一階部分は車の洪水をかわしながらのスケッチで、苦労する。

南座G(京都市東山区)      2012.12.01        36×51cm
このところ12月度悠彩会スケッチ会では「まねき」の上がった南座を描くことが多い。今回は別の場所を描くことも検討したが、忘年会が午後1時スタートのため時間が限られていることもあり、やはり南座を選んだ。少し時間が余ったので、忘年会会場の向かいの「一之舟入」を描こうと思って行ってみると、高瀬川全体が掘り起こされ、全面改修中だった。

南座F(京都市東山区)11.12.03     F6
12月の悠彩会スケッチ会は毎年京都で忘年会を兼ねて開催することになっており、「午後2時宴会開始、雨天決行」という企画である。天気予報では雨予想だったが、電車を降りたら幸い雨は降っていない。しかし、雨になってもアーケードの屋根がある四条通なら大丈夫と考え、とりあえず南座を選んだ。

南座E(京都市東山区)10.12.19    36×51cm
龍馬坂で描いた後、産寧坂から清水寺の方へ行ってみようかと思ったが、”師走の京都”といえば、やはり「まねき」の上がった南座を無視できないかなと思い直し、四条通へ。次第に人混みが激しくなる歩道で描いていると、かなり日本語の達者な外国の観光客が「この建物では相撲をやっているのですか」と聞いてきた。「相撲じゃなくて、歌舞伎です」と言ったが、どうも通じないみたい。「芝居を」と言い直すとようやく納得してもらったようだった。

南座D(京都市東山区)08.12.06  36×51cm   
この日、悠彩会のスケッチ会があった。どこで描こうかなと迷ったが、師走の京の風物詩といえばやはり「まねき」の上った南座と思い、四条通を挟んだ向かい側に座ってこの風景を描くことにした。この日はとても気温が低かったが、背後に北風を防ぐ塀があり、日溜りで暖かかった。

南座C(京都市東山区)05.12.03 36×51cm
師走になったのでまた南座のスケッチに出かけた。といっても16年ぶりになる。下の絵は写真から描いたものなので、人通りが非常に多い現場で描くことができるか、というのがこの日のテーマ。人通りはあまり気にならなかったが、目の前にたびたび図体の大きなバスが止まり、向こうが見通せないのには閉口した。翌日の新聞を見ると、この日午後5時31分に小泉純一郎首相が南座を訪問したという。もう少しもたもたしていたら「不審者」扱いで追い散らされたに違いない。

「まねき」は隅から隅まで観客で埋まるようにとの願いを込めて隙間なく掲げられるのだそうだ。「2枚目」、「3枚目」という言葉はこのまねきから生まれたという。「勘亭流」という独特の書体で書かれているが、スケッチではカナクギ流。
















南座@(京都市東山区)89・12 F4

これらの絵は絵を始めたころのもので、写真から描いた。したがって量産可能。ただし、描き始めたら「まねき」の文字(役者名)がよく分からない。夜になっていたがわざわざ現地まで車を走らせたことを覚えている。















          南座A(京都市東山区)89・12・02 F0


歌舞伎が始まったのは今から400年前。元は南座、北座などこの周辺に5座があったそうだが、明治26年に北座が廃業し、今では南座だけが残っている。

















南座B(京都市東山区)89・12・02 F0

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