京都府

木屋町・一之舟入ほか(京都市中京区)

角倉了以が1614年(慶長19年)に開削した高瀬川は京都への物資輸送に大いに貢献した。物資を荷揚げする「舟入」は二条から四条にかけて9カ所造られたそうだが、今残っているのは木屋町通二条下ルの「一之舟入」だけ。幕末までこのあたりは各藩の藩邸が並んでいたが、舟入の北側は日銀京都支店になり、そのほかの敷地には大型ホテルなどが建てられている。そこから南へ、川沿いに京都を代表する繁華街の一つ、木屋町通が続く。

   
   大晦日の岬神社(京都市中京区木屋町通蛸薬師西入ル)16.12.31     F3  
  木屋町通蛸薬師西入ルのビルの谷間に「土佐稲荷・岬神社」という小さな神社がある。江戸時代にはこの近くに土佐藩邸があり、その屋敷の中にこの神社もあったそうだが、明治になって屋敷が売却されたため、明治20年に土佐藩用人邸があったこの場所へ移されたという。大晦日の夕暮れ、神社の正面に座って小さなスケッチブックを広げた。通りがかりの人が必ず立ち止まって礼をしていく。近所の人の信仰を集めているそうで、看板にある26日の新年祭はけっこう賑わうのだろう。  
 
 
   
   「八之舟入通」(京都市中京区)16.06.22      F3  
  河原町と木屋町を東西につなぐ細い道ががたくさんあるが、四条通から北へ数えて3筋目に老舗料亭があるのを思い出した。スケッチ後、ふと道路標識をみると「八之舟入通」とある。高瀬川に昔は一から九までの舟入があったと聞いたことがあるが、「八之舟入通」は知らなかった。帰宅してからネットで調べると、河原町と木屋町をつなぐ細い道には名前がなくて不便なので、2012年ごろ「八之舟入通」と名付けたという。以前この場所は「河原町通四条上ル三筋目東入ル」などと呼んでいたが、今では「八之舟入通木屋町西入ル」または「八之舟入通河原町東入ル」と呼ぶようになった。しかし「八之舟入通」はまだ有名ではないので、以前の呼び方の方が場所が的確に分かるような気がする。ちなみに目の前の料亭は、ホームページで所在地を「西木屋町四条上ル」と表示している。  
 
 
「一之舟入」あたり(京都市中京区押小路通木屋町西入ル)    2014.12.06       F6
悠彩会の忘年会は例年通り「がんこ高瀬川二条苑」が会場である。南座を描いたあと会場前まで行ったが、宴会開始までまだ少し時間があるので、その近くの押小路通でもう1枚描くことにした。この通りに面して料理屋がずらっと並んでおり、店の裏側は一之舟入の水面に面している。このあたりは幕末までは長州藩屋敷だったところで、通りの南側には明治になって建てられた数寄屋建築と庭園で知られる廣誠院がある。その玄関先を拝借していると、出入する人が少し驚いたような顔で「寒いのに頑張っていますね」などと声をかけていく。仲間のAさんがやってきて、添付の写真を撮ってくれた。





「幾松」付近(京都市中京区木屋町通御池上ル)2013.12.14          F6 
悠彩会の忘年会で、会場に近い木屋町御池上ルへの料理旅館「幾松」付近を描くことにした。「幾松」は桂小五郎(のちの木戸孝允)と芸妓・幾松(のちの松子夫人)の木屋町寓居跡を活用している。この辺りは今は飲食店が並ぶ高瀬川沿いの静かな町だが、椅子を置いた場所の後ろには佐久間象山と大村益次郎の遭難の地の碑がある。すぐそばの「京都ホテルオークラ」が建っている場所に長州藩邸があっただけに、幕末のこの辺りはずいぶん血なまぐさかったようである。スケッチしているうちに雲が出てきて日が陰り、寒さが増したが、「幾松」の玄関脇に名残の紅葉があった。

「島津製作所創業記念館」あたり(京都市中京区木屋町通二条下ル)2013.12.14      25×41cm
忘年会会場の「がんこ高瀬川二条苑」の向かいに「島津製作所創業記念館」がある。島津製作所が1875(明治8)年にこの地で創業、45年間にわたって本店が置かれていた建物だという。幕末には血なまぐさい風が吹いていたこの辺りも、明治維新になると近くに国の舎密局(せいみきょく)が置かれ、それが契機になって島津製作所が創業するなど京都の殖産振興の中心地となった。宴会前に島津記念館を描きたいと思ったが、寒さと時間不足で未完成に終わり、写真で補強した。

「一之舟入」付近(京都市中京区)2013.03.29    F6    ● 






2012年12月に行った時、「一之舟入」は改修工事中だった。この日「もう工事は終わったかな」と思い行ってみると、工事は完成しており、しかも高瀬川畔の桜は満開である。ちょっと心が動きかけたが、桜に挑戦したら後で後悔すること間違いないと思い、高瀬川と桜に尻を向け、歩道に座って路地の奥を描いた。

一之舟入(京都市中京区)05.11.04      36×51cm 
この場所の高瀬川には高瀬舟も繋いであって、いわばスケッチの定番ポイントである。へそ曲がりの私はあえて舟を避け、料理屋などになっている町屋群に焦点を当てた。上から垂れ下がったサクラの枝などを描くのに手間取っていたら、夕方になり、後ろの木屋町から三味の音が聞こえてきた。

京都市中京区・裏寺通へ
「近畿の旅1」(兵庫、京都)の目次へ