京都府

伏見(京都市伏見区)

伏見・・・。この町名は確かに京都市の一部なのだが「京都ではない」と主張しているような響きがある。今は京都市伏見区だが、かつては独立した伏見市だった。京都市伏見区ホームページというのがあって、それによると伏見町が伏見市になったのは昭和4年で、同6年にはもう京都市伏見区になっている。たった2、3年のことなのに、今でも「昔は独立した市だった」との話がよく出る。
 
 
   
  黄桜酒造付近(京都市伏見区)21.03.04  36×51p   
  コロナウイルス禍で団体でのスケッチ会はしばらく中止が続いたが、近畿圏の緊急事態宣言解除を受けて、この日、浪漫会のスケッチ会が京都・伏見で開かれた。ただし昼食会や反省会はなしという寂しい企画である。伏見の酒蔵街はいろんな機会ににたびたび描いているので、新しいスケッチポイントがなかなか思い浮かばない。ずいぶん歩き回った結果、黄桜酒造関係の建物が並ぶ塩屋町で取りあえず1枚目を描いた。  
 
 
   
  鳥せい本店辺り(京都市伏見区)21.03.04  28×38p  
  浪漫会の伏見スケッチの続き。せめて1枚ぐらいはこれまで描いたことのないアングルで描こうと思い、1枚目を描いた場所で反対側を向き、正面にレストランの「鳥せい本店」が見える一画を描いた。鳥せい本店は清酒・神聖の山本本家が酒蔵を改造してオープンした鳥料理を専門の居酒屋レストランで、京都市内などでフランチャイズ展開している。  
 
 
   
  寺田屋(京都市伏見区)21.03.04  F6  
  浪漫会の伏見スケッチの続き。次はどこで描こうかと周辺をうろついて、坂本龍馬の故事で知られる旅籠の寺田屋を描くことにした。この建物も過去に何回か描いている。相変わらず見学客が多い。となりの質屋さんが入り口に赤い膜を出しており、良いアクセントになる。  
 
 
   
  月桂冠旧本社辺り(京都市伏見区)21.03.04  F6  
  浪漫会の伏見スケッチの続き。まだまだ時間があるので、本材木町の月桂冠関係の建物が集中する辺りを描いた。正面が大倉家本家、右側が旧本社社屋、左側は何の建物か知らないが酒蔵の一つであろう。このアングルも以前描いている。  
 
 
   
  春の松本酒造(京都市伏見区横大路三栖大黒町2019.04.27   F6  
  伏見の酒蔵スケッチの2枚目は、少し離れた「横大路三栖大黒町」という長い町名の場所にある松本酒造を選んだ。新高瀬川東岸に建つこの酒蔵は、川の土手に咲く菜の花との組み合わせに人気があり、写真やスケッチで数多く取り上げられている。2007(平成19)年に、「伏見の日本酒醸造関連遺産」として、大倉記念館などとともに経済産業省から近代産業遺産に選定されている。私自身も過去に何回か描いているので、以前とアングルを変えて北側の草むらの中から描いてみた。菜の花がまだ残っていた。  
 
 
   
  春の松本酒造その2(京都市伏見区横大路三栖大黒町)2019.04.27   F6  
  飲み会開始まで少し時間があるので、同じ松本酒造の酒蔵をアングルを変えて描いた。大型連休が始まったが、初日のこの日は風が強くてとても寒くかった。一度片付けていたダウンジャケットを着て行ったが、それでも震え上がった。5時開始の飲み会では参加者のほぼ全員が「熱燗」を注文した。  
 
 
   
  「寺田屋」の西(京都市伏見区)2019.02.26   F6  
 
幕末の”寺田屋騒動”で知られる旅籠「寺田屋」の前を少し西へ行くと、昔は市電が通っていた竹田街道へ出る。大通りの向こうに、生活場面を表通りにさらけ出した一角があったので、ちょっと面白いと感じた。以前この場所にはガソリンスタンドがあったが、今は大きなお菓子屋さんの店舗と駐車場になっており、駐車場脇の歩道に座った。ふと見ると近くに「伏見口の戦い激戦地跡」との碑(→→)が建っていた。「この辺りは幕末にはずいぶん物騒な場所だったのだなあ」と思いながらスケッチした。この後、この日の本来の目的である京都水彩展を観て、会場に集まった10人あまりの浪漫会メンバーと楽しい夜を過ごした。

碑の横の説明板には「慶応4(1868)年1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船で伏見京橋に上陸。ここに伏見御堂を宿陣として戦いました。伏見奉行所に陣を置いた幕府軍や新選組が民家に火を放ちながら淀方面へ敗走したので、このあたりの多くの民家が焼かれ、大きな被害を受けました」とあった。
 

伏見J・松本酒造(京都市伏見区横大路三栖大黒町)07.03.16  31×41cm
冬が戻ってきて寒い日が続くが、晴れるとスケッチの虫が動き出す。この日もよく晴れていたので、手軽に行けて陽だまりが期待できる伏見の松本酒造を選んだ。ところがやがて雲が出て寒くてたまらない。現場は早々に切り上げ、自宅で続きを描いた。せっかくだから先日買ってきたマスキング液を試してみることにし、無粋なブロック塀を隠すため、昨年はここにあった葦の株を付け加えてみた。
伏見I・松本酒造
(京都市伏見区横大路三栖大黒町)
07.03.16  36×51cm 





現場で描いたのはこちらの方。上の「葦付き」の方が気に入っている。

伏見H・松本酒造(京都市伏見区横大路三栖大黒町)06.04.01 36×51cm
京都へでも行くかと京阪電車に乗ったが、急に気が変わって中書島駅で下車した。あちこち歩いていると伏見の観光案内によく載っている松本酒造の酒蔵のところに出た。椅子を置いた新高瀬川の土手はスケッチに最適。ただし、ちょっとだけへそ曲がりに酒蔵よりレンガ建ての工場部分に焦点を当てて描いた。

伏見G・油掛通(京都市伏見区)05.10.03 36×51cm
伏見区中心部を東西に横切る油掛通は日本で初めて「電車」が走った道である。1895年(明治28年)2月、京都電気鉄道が当時の京都駅近くから伏見・油掛通のこのあたりまでの6・6キロで電気鉄道事業を開業、後に京都市電に引き継がれた。
この通りにはビルに混じって古い町屋が数多く残っている。手前は、1868年(慶応4年)の鳥羽伏見の戦いで焼けたあとすぐに再建したという造り酒屋・山本本家の建物。「神聖」の銘柄で知られる。

伏見F(京都市伏見区)05.10.03 36×51cm
伏見区の南浜町、本木材町あたりには「月桂冠」関連の建物がひしめいている。この絵の正面が大倉家本宅、右側が旧本社屋である。何しろ創業350年を越えた大手酒造メーカーだけに、その社歴をこれらの建物群が物語っている。正面の角を曲がったところに近代的な新本社屋ビルがある。

伏見E(京都市伏見区)04・10・28 アルシュ36×51cm
連続して伏見に出かけ、観光客がぞろぞろ通る道から横へそれると、いかにも酒造りの町という風情の路地があった。このあたりは細かい町名が入り組んでいて分かりにくいが、帰宅後調べたら丹後町と新町3丁目の境界の道路で描いたことが分かった。左側の建物は伏見銘酒協同組合の酒蔵。

伏見D(京都市伏見区)04・10・22 アルシュ36×51cm
上油掛町あたりには酒蔵を利用したレストランなどが多く、ウイークデーなのに団体客がぞろぞろ通る。ちょうど完成したころ、ご婦人団体の一人が絵を覗き込んで「パリの街角みたい」「行ったことはないけど」と一言。私もパリに行ったことがないが、これほめ言葉?。どこから来られた団体さんか聞いていないが、この面白さは「大阪のおばちゃん」に違いない。

伏見C(京都市伏見区)03・12・23 アルシュ36×51cm
この絵を描いたのは村上町。「富翁」の銘柄で知られる北川本家・乾倉の前あたりである。酒蔵がたくさんある南浜町周辺からはかなり西にある。絵を覗き込んだご婦人が「このあたりがほんとの伏見ですからね」と半ば自慢するように話しかけていった。正面に見えるのが濠川に架かる「阿波橋」。

宇治川派流に沿った酒蔵群や寺田屋騒動で知られる旅館「寺田屋」が、大いに日曜画家や観光客を集めている。絵は本材木町の「大倉記念館」。かつての大倉酒造(現月桂冠)の酒蔵だったが、現役を退いたあと、酒造りの歴史の紹介や酒蔵寄席、酒蔵コンサートの会場として利用されている。



伏見@(京都市伏見区)91・06・30 F4

この周辺は幕末の鳥羽伏見の戦いですべて焼けてしまったという。この建物は「大倉家本宅」。1828年(文政11年)の建造だそうで、そうした混乱の中でも焼け残った。この建物の右手に大正時代に建てられた大倉酒造の旧本社の建物がある。



伏見A(京都市伏見区)91・06・30 F4

伏見は豊臣秀吉の城下町であり、淀川水運の伏見港でも栄えた。しかし、今は「伏見の酒」が主産業。月桂冠だけでは他の蔵元に申し訳ないと思い、塩屋町の「東山酒造」を描いた。黄桜酒造とは別法人だが、清酒「黄桜」を造っている。



伏見B(京都市伏見区)94・06 F8

私が20歳代のころ、かつて伏見市長を務めたという中野種一郎氏にお目にかかったことがある。明治9年9月の生まれで昭和49年1月に98歳で亡くなられるまで現役で活躍された凄い方で、当時90歳はとっくに超えておられた。市長のころ林長二郎(後の俳優・長谷川一夫)を「ぼん」と呼びながら頭をなでたという話をご本人から聞いた。明治、大正、昭和がごっちゃになった一瞬である。

伏見その2へ
「近畿の旅1」(兵庫、京都)の目次へ