京都府

東一口(久御山町)

「東一口」というのは難読地名の代表格だろう。「ひがしいもあらい」と読む。それはそれとして、昔、宇治川と木津川に挟まれて巨椋池という巨大な池があった。周囲16km、面積800haもの大きさだったが、昭和8年から16年までかけて干拓され、今は水田や工場、住宅に変わっている。干拓前、東一口には唯一の水の出入り口があり、漁業専業の村だったという。かつての堤防上のうねうねとした道に沿って古めかしい家並みが残っていた。

東一口@(久御山町)09.03.08  36×51cm
古い家並みに沿って歩いていくと、やがて見たこともないような豪勢な長屋門が姿を現した。かつて巨椋池の漁業権を一手に取り仕切っていた山田家のものである。

東一口A(久御山町)09.03.08   F6








山田家の裏手にお寺があった。その横の小道の白壁の家が印象的だったので、気分転換に描いた。絵の左手のお寺は「安養寺」という。村の人の話によると、淀川から引き上げられた十一面観音像を本尊としており、毎年、彼岸前の土日に行なわれる春祭りで開帳されるとか。

東一口B(久御山町)09.03.08  36×51cm
巨椋池は宇治川の遊水池でもあったから、その堤防の上にできた集落の歴史はおそらく水との戦いの歴史であったと思う。家並み全体が周囲より一段高くなった道筋にあるが、その中で山田家の敷地だけは石垣を巡らし、さらに一段高くなっている。敷地の高さがそのまま財産力の証だったのであろう。

東一口C(久御山町)09.03.08   F3







東一口は昔の巨椋池の堤防上にできた集落で、周囲より少し高くなった道筋に家並みがある。家々の間の路地には石段があって、石段を上った所に集落を貫く道が通っている。ちょっと面白いなと思って、小さなスケッチブックにスケッチした。

                               東一口D(久御山町)09.03.08   F3




ちょっと雰囲気の良い石段を探してもう1枚。うしろに川と道があり、石段を上ったところが、昔堤防だった道。向こう側の路地を抜けると一段下がってまた道があり、その向こうは川になっている。2本の川に挟まれた珍しい地形である。いつも影を付けるだけに使っている8Bの鉛筆で全部描いてみた。

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