京都府

橋本(八幡市)

橋本は京都と大阪のほぼ真ん中に位置する。かつては淀川や京街道を往復する旅人で繁盛した遊郭だった。今でもその雰囲気を残してはいるが、次第に普通の町になりつつある。

   
  「橋本の渡し場跡」付近(八幡市橋本)2018.09.11   F6  
 
6年ぶりに京都府八幡市の橋本へ行った。橋本はかつての遊郭の面影を色濃く残していたが、ずいぶん空家と空き地が増えている。しかも先日来の地震か台風で大きな被害を受けたらしく、ブルーシートを掛けた家が目立ち、町中でスケッチするのがはばかられた。このため少し暑いが、淀川の堤防に上り、対岸の山崎とを結んでいた「橋本の渡し場跡」付近を描いた。橋本の渡しは京街道と西国街道を結ぶ渡し船として1962(昭和37)年まで使われていたという。絵の左端にその渡し場跡の道標を描き込んでおいた。



      道標には「山さき あた古 わたし場」(左面)「柳谷わたし場」(右面)といった文字が見える。柳谷とは長岡京市にある柳谷観音を指す。→→
 
 
 
   
  旧「橋本湯」付近(八幡市橋本)2018.09.11   F6   
  橋本の大阪寄りの地域で大規模な住宅開発が進んでおり、淀川土手を通る旧国道1号線から京阪電車の線路を越えて新住宅地へ入る道路が完成している。その高架橋の歩道から橋本の町が俯瞰できる。目の前には銭湯の煙突がドーンと建っているが、銭湯マニアのブログによると、「橋本湯」と言ったこの銭湯は2015(平成27)年9月末に廃業した。1929(昭和4)年に開業したといい、86年にわたり遊郭街だったこの町とともに歴史を重ねてきた。  
 
 
橋本意足(八幡市)2012.04.12     36×51cm
京都へ向かう京阪電車が樟葉駅を出て次の橋本駅に近づく時、右側の車窓に山の上まで住宅が建ち並ぶ風景が広がる。これほど見事に頂上まで開発された住宅地も珍しく、いつかは描いてみたいと思っていた。淀川の土手を走る旧国道1号線脇の草むらに椅子を置き、馬鹿丁寧に家々を描いた。この住宅地は「橋本意足」(はしもといそく)というおよそ新興住宅地らしくない名前である。

橋本・京街道(八幡市)2012.04.12     F6

丘の上まで続く「橋本意足」の住宅街のスケッチは手間がかかりちょっと疲れたので、そのまま帰ろうかなと思ったが、ついでに橋本の旧京街道の町並みを描く気になった。下のBとほぼ同じ場所で描いた。

橋本E(八幡市)10.10.05       36×51cm
この日は別のポイントを描きたくて橋本へ出かけたが、絵にならないので、町なかへ入っていった。橋本では遊郭らしさを感じる建物は残っているものの、町並みとしては急ピッチで普通の住宅街に変わっており、スケッチするのも気が引ける感じがする。

橋本D(八幡市)05.09.07 36×51cm
心配していた台風が日本海にそれた。まだ風が強いが、雨は降りそうにないので、2年ぶりに橋本へ行った。だんだんと空き地が増え、スケッチしたくなるポイントがなくなる。

橋本C(八幡市)03・04・13 F8
淀川の土手の上の旧国道1号線を利用することが多く、いつも遊郭の町並みの裏側であるこの家並みが気になっていた。この日は悠彩会の有志を誘って描きに出かけた。

橋本B(八幡市)94・08・11 F8
町を旧京街道が貫いている。遊郭街から南へ、町外れのあたりには街道の雰囲気が残っていた。この絵を94年11月に開催された第1回悠彩会展に出展した。最近、再び訪ねたら町の様子がすっかり変わっていて、このお宅は影も形もない。

橋本A(八幡市)94・08・11 F8
京阪電車の橋本駅を降りるとすぐに旧遊郭街が広がっている。遊郭特有の建物が軒を連ねていた。05年9月現在、スケッチした3軒のうち、残っているのは1軒だけである。

駅のそばにこの路地がある。現在も左側と正面の建物は残っているが、右側が空き地になっていて、狭い路地の雰囲気はなくなってしまった。05年9月現在、正面の洋風の建物があったところも空き地になっていた。






橋本@1(八幡市)91・08.24 F6

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