京都府  
 
 
  旧・五条楽園(京都市下京区)  
 
 
  五条楽園は、五条通と七条通の間、鴨川から河原町通までの区域にあった歓楽街。中央を高瀬川が貫流している。七条新地と呼ばれる遊郭街だったが、1958(昭和33)年の売春禁止法施行に伴い、五条楽園と名前を替えて、芸妓中心の花街への転換を図った。しかし、2010(平成22)年10月にお茶屋や置屋などが一斉に休業、翌年3月にお茶屋組合も解散して、江戸時代以来の歴史を閉じ、「菊浜学区(地区)」という普通の住宅街となった。しかし当時の歌舞練場やお茶屋建築などの建物はそのまま残っており、また最近は外国人観光客に焦点を当てたホテルや宿泊施設なども増えるなど新たな発展をしつつあるようだ。  
 
 
   
  元お茶屋「本家三友」(京都市下京区)19.08.26    F6  
  この旧・五条楽園を代表する元お茶屋「本家三友」の建物の存在は以前から知っていたが、五条楽園全体が暗い歴史を引き継いでいると聞いていたので、何となく敬遠してきた。京都駅前のビルで知人が個展を開かれたので、訪問前に比較的近い場所にある五条楽園に初めてスケッチブックを持って入った。京阪電車の清水五条駅からすぐの高瀬川沿いに「本家三友」の建物はあるが、手入れはされているのものの入り口は固く閉ざされていた。  
 
 
   
  菊浜学区・八ツ柳小路(京都市下京区)19.08.26    F6  
 
「本家三友」の建物を描いたあと、少し付近を歩いてみた。鴨川に面した道路から1本裏道に入ったところに「八ツ柳小路」との標識が出た狭い道があり、いかにも京都の下町らしい風景が広がっていた。目の前に地蔵さんが祀られていて、右から来た道には「地蔵小路」との名前がついていた。この地域はもはや「五条楽園」の看板は下ろし、「菊浜学区」としてまちづくりなどの取り組みをしているらしいので、ここではタイトルをその呼び方にした。"学区”は京都市独特の呼び方で、行政区ではないが、各地で自治組織としてさまざまな活動をしている。






 
 
 
   
  尖った家(京都市下京区)19.08.26    F6   
  旧・五条楽園の真ん中を流れる高瀬川沿いに下っていくと、鋭角に尖った交差点にそそり立つように建つおしゃれな洋館があった。形が珍しいこともあり、多くの人がスケッチや写真で取り上げている。「これも横尾忠則好みのY字交差点だな」と思いながら描いた。古い写真を見ると「お茶屋」の看板が出ていたが、今は玄関に個人の小さな表札がひっそりと掲げられていた。  
 
 
   
  五条会館(京都市下京区)19.08.26    F6   
  高瀬川沿いに建てられた菊浜地区の案内看板を見ると、一筋裏手の通りに「五條会館」があった。1917(大正6)年に完成した木造3階建てで、かつて「五条楽園歌舞練場」として使われていた。現在はどのような用途に使われているのかよく知らないが、玄関は開いていた。ネットで検索すると、2018年に、ある大手リノベーション会社が落札して購入、再生プロジェクトに取り組んでいるとの記事があった。  
 
 
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