京都府

祇園甲部(京都市東山区祇園町南側)

祇園町は四条通より南側を「甲部」、北側を「乙部」(今は祇園東)と呼ぶ。乙部は派手な看板に覆われたバー・スナックビルにも侵食されているが、甲部は全体にしっとりとした町並みを守り続けている。ただし、観光客相手の一部の店を除き「一見さんお断り」の手の届かない町でもある。正式な町名は「祇園町南側」というきわめて分かりやすいものである。
 
 
   
  西花見小路(京都市東山区)2020.07.08    F6  
  まだ時刻も早いのでもう1枚描こうと、祇園の花見小路へ行ってみた。少し前は外国人旅行者が道一杯に溢れていたものだが、今はたまに二人連れなどが歩いているだけ。せっかくだからこれまで描いたことがないポイントで、と花見小路の一筋西に並行する西花見小路へ。どの店も営業しているようだが、歩く人影もほとんどない。経営は大変だろうなと思った。祇園甲部など京都5花街のお茶屋は新型コロナウイルス感染の拡大を恐れ、4月中旬から5月末まで営業を自粛していたが、この日、祇園甲部の舞妓2人がコロナウイルスに感染したというニュースが流れていた。5時過ぎに京阪特急に乗ると、待ってましたとばかりに、車窓は雨になった。  
 
 
   
  〈 ペン画試作2 〉祇園「一力茶屋」付近(京都市東山区)19.12.22)     F6  
  寒いし、天候も良くない。ということでまたペン画の試作をやってみた。筆記具は近所の文房具店で買ってきた「UNIーPIN(油性)0.1ミリ」。今年の夏に撮影した写真を題材に描いてみたが、線が太くて思い通りの効果が得られなかったので、薄く着色してごまかした。  

   
  一力茶屋辺り(京都市東山区)19.08.10    36×51p     
  悠彩会スケッチ会の続き。昼食会会場は、花見小路通と四条通の交差点にある中華料理店「青冥(ちんみん)」だった。ビルの5階にある同店の窓から祇園甲部の家並みが俯瞰でき、与堂さんが何回か描いておられたが、私自身は店へ入るのも初めて。この景色をスケッチするには角の席に座る必要があるが、それをお願いする勇気もないし、素早く描く自信もないので、席が空いたところを見計らって写真を撮った。この日は猛暑だったが、次の日も猛暑なので、エアコンの効いた部屋でゆっくり描いた。写真からなので細かい点もお任せあれである。赤いベンガラ壁の一力茶屋がいかにも存在感がある。  
 
 
   
  花見小路通四条上ル(京都市東山区)2017.09.03    F6  
  この日は夕方から飲み会の約束なので時間はたっぷりある。半面、祇園あたりでは描いたことのない目新しいスケッチポイントが思い浮かばない。花見小路通四条上ルで、一力茶屋の向こうに祇園弥栄会館が見える場所に差し掛かり、「ここは描いたことがなかろう」と思い、スケッチブックを広げた。帰宅後、ホームページをチェックしたら、やはりきっちり描いていた。(このページの下の方に掲載しています)  
 
 
花見小路C(京都市東山区祇園町南側)2014.05.07     36×51p
学生時代の友人の写真展を訪問するのを機に、久しぶりに花見小路でスケッチした。以前、赤い郵便ポストの後ろから描いたが、今回はそれを背にした。観光客が次々に覗き込んで声をかけていく。やはり花見小路らしい雰囲気である。適当に人物を描き入れたが、「十二段家」の前を通る赤いシャツの人は少し背が高すぎるのではないかと思われるかもしれない。しかし、実はちょうどこの時、赤の半そでシャツを着たものすごく背の高い外国人が通りかかった。

小袖小路(京都市東山区祇園町南側)2014.03.12      F6
この日は京都市美術館で京都水彩展を訪問後、祇園町でもスケッチした。この場所は花見小路の弥栄会館から一筋北にある路地で、おそらく祇園町で一番幅が狭い路地だと思う。足元に張り付けられたプレートで「小袖小路」と呼ぶことを知った。スケッチ中、背後から声が掛かった。BS11というテレビ局の旅番組「日本ほのぼの散歩」のロケ隊だという。脇目も振らずに鉛筆を動かしていたので、女性リポーターの問いかけに適当に応対していたが、インタビューが終わって振り返ると、リポーターは藤吉久美子さんという美人女優本人であった。それならもう少し丁寧に受け答えすればよかったと反省。4月9日に「京都・嵐山・東山2時間スペシャル」として放映された。
       BS11の「日本ほのぼの散歩」で紹介されたスケッチ現場での画像。      





南園小路(京都市東山区祇園町南側)      2012.09.25        F6
この日もまた、展覧会訪問ついでのスケッチ。たびたびスケッチしている祇園町南側(祇園甲部)だが、弥栄中学校の南側を東西に通る道は初めて。この道の名前を知らなかったので調べてみたら、南園小路(なんえんこうじ)というらしい。氷屋さんなどがあり、ほかの通りに比べてちょっと生活感がある。角の家の入り口横に大きな看板が掲げられている。料理かなんかの案内と思ったら「青色申告で節税を」とあった。

西松竹小路A(京都市東山区祇園町南側)      2012.09.25        F6
祇園町を移動して2枚目に選んだ「西松竹小路」も以前描いたことがある。芸妓・舞妓が日本髪を結う美容院が目の前にあるので、スケッチの定番ポイントでもある。こんな狭い道なのに、目の前の三叉路を車が曲がってきて、道の真ん中に座っている私をびっくりさせる。多分、運転者の方もびっくり。

青柳小路(京都市東山区祇園町南側)  2012.08.21         F6
祇園甲部でのスケッチ回数が多いため、目新しい場所がなかなか思い浮かばない。この日は雨がやってきそうな空模様を眺めながらポイント探しをしたが、先日、与堂さんが描かれた絵が印象に残っていた「青柳小路」を選んでみた。椅子を置いた場所は、祇園の芸妓や舞妓が通う学校「八坂女紅場学園」の出入り口のため、本物の芸舞妓の姿をよく見かける。爽やかな笑顔で通り過ぎて行った芸妓さんの後姿をあわてて描き込んだ。

祇園甲部の俯瞰A(京都市東山区)11.12.03      36×51cm
下の絵が不満足な出来だったので、傾きを修整しながら、改めて描いてみた。

祇園甲部の俯瞰@(京都市東山区)11.12.03     F6
祇園の俯瞰を一度描いてみたいと思っていたが、悠彩会スケッチ会の当日は寒くもなく、曇りのため南向きでも逆光にならないなど、最高の条件がそろっていた。スケッチポイントへ行くと、長年あこがれの風景が目の前に広がっている。手前の大きな屋根が「一力茶屋」、その右側が花見小路通である。一番目立つ弥栄会館の建物から描き始めたが、出来上がった絵をよく眺めると、最近の癖で絵全体が左に傾いており、がっかり。

弥生小路A(京都市東山区祇園町南側)11.09.07     F6   
下にある弥生小路@を同じアングルから描き直してみた。一力茶屋南側路地のこの場所は日影で涼しく、落ち着いてスケッチできるポイントである。鉛筆スケッチを終わりかけたころ、係員がやってきて、目の前に「温習会」の提灯を取り付けてくれた。お陰でとてもよいワンポイントができた。

花見小路B(京都市東山区祇園町南側)10.12.19      36×51cm
祇園の花見小路は京都でも人気のスケッチポイントだが、いつも観光客であふれており、躊躇することが多い。この絵ものんびりした雰囲気に仕上げたが、この場所から少し南へ行ったところにJRAの場外馬券売り場があり、この日は日曜日なのでこの道は馬券売り場への客で大混雑だった。

一力茶屋(京都市東山区祇園町南側)10.07.20       F6(変形)   
四条・花見小路の角にある一力茶屋(祇園一力亭)は祇園甲部を代表するお茶屋で、皆さんがこの前で記念撮影する観光スポットでもある。祇園では何回もスケッチしているが、この建物を正面から描いたことがなかった(もちろん中へ入ったこともないが…)。午後になると店の向かい側に日影ができるので「一度描いてみるか」という気になった。スケッチしていると大勢の子供を連れた中国人観光客にどっと取り囲まれた。子供は前に立つ、身をすり寄せてくるなど、その行動は日本の子供も同じである。何か会話したいが、残念ながら言葉が通じない。お金持らしく、小学生程度の年齢なのにデジカメで私のスケッチ姿と絵をジャンジャン撮影していたので、少しは日本観光の思い出になったかもしれない。

松竹小路A(京都市東山区祇園町南側)10.06.29      F6
与堂さんの個展が祇園の画廊で開かれているついでに祇園でスケッチしようと、腕まくりして初日に出かけた。氏の作品を鑑賞、長居をしたあと、スケッチポイントを探していると、古くからの友人・T君にばったり出会った。「コーヒーでも」と楽しく歓談しているうちに時間はどんどん過ぎる。ようやく弥栄会館が見える松竹小路でスケッチブックを広げ、鉛筆スケッチを始めた途端、急に空が黒くなり、やがてパラパラと雨が。「二兎を追うものは…」の例え通りの結果となった。本降りになった雨の中で撮った写りの悪い写真から続きを描いた。

御陵前通(京都市東山区)10.03.17       F6
祇園甲部の東の端を南北に通る小道を御陵前通と呼ぶ。その道を南へ行くと右側に「崇徳天皇御廟」があることを知った。だから御陵前通の名ができたのだろう。第75代崇徳天皇は5歳で皇位ににつくが、上皇に退いていた1156年に「保元の乱」に敗れ、讃岐国に流された。崇徳天皇稜は香川県坂出市にあるそうだが、不遇な身の上を慰めるためこの地にも御廟がつくられたのだという。その御廟の前に座ってスケッチした。歓楽街の片隅にある天皇廟に京都の奥深さを感じた。

弥栄小路@(京都市東山区)08.05.09
この日も東山あたりをうろついたが、もう一つ気分が乗らず、結局、祇園・一力茶屋横の路地に腰を落ち着けた。白い暖簾のかかった町家は今はレストランになっているが、昔は確か、何回か通ったお座敷スナックだった。安月給なのに生意気にも祇園などで飲んでいたこともあった。この路地は「弥生小路」というらしい。

初音小路(京都市東山区祇園町南側)08.03.28  F6
ひまつぶしさん、与堂さんと3人で二年坂でスケッチしたあと、気分を変えて祇園へ。花見小路もやっぱりすごい人と車で歩くのもままならないが、交差する路地に入り込むと、背中にざわめきを感じるだけで、全く気にならない。4月1日から始まる「都をどり」の赤い提灯が町並みに彩りを添えていた。東西に通じるこの路地は「初音小路」というそうだ。

西松竹小路@(京都市東山区祇園町南側)07.05.20 36×51cm
祇園甲部の小さな道にはみな名前が付いている。花見小路の1本東側、弥栄会館がよく見えるのこの路地は「西松竹小路」というそうだ。日曜日とあって花見小路は車と人で身動きが取れない状態だが、一筋ずれると地元の人のほかはたまに観光客がやってくるだけ。恵まれたスケッチ環境だったが、雨がパラつき、たびたび中断を余儀なくさせられた。

花見小路A(京都市東山区)06.09.20 36×51cm
友人の展覧会訪問ついでに、花見小路四条上ルから一力茶屋と弥栄会館を見通すおなじみの場所で描いた。道の両側の味気ないビルの処理に苦労していると、わざわざ引き返してきた人が「花見小路が1間幅だったころを知っていますか」という。聞けば戦時中の疎開で今の2車線幅に拡幅したとのこと。地面を指差して「ここに我が家があった」とも。もちろんそんな昔を知るわけがない。でもその人の目に、私はいったい何歳と映ったのだろうか。

八坂女紅場学園門前(京都市東山区祇園町南側)06.08.15 F6
祇園の芸妓さんや舞妓さんが通う学校を「八坂女紅場(にょこうば)学園」という。授業科目は、舞・能楽・長唄・一中節・常磐津・清元・地唄・浄瑠璃・小唄・鳴物・笛・茶道・華道・書道・絵画などだそうで、修学年限などはなく生涯学習システムなので、生徒の年齢は15歳から80歳ぐらいまでとか。弥栄会館の裏手にあるこの学園の門前でスケッチブックを広げたが、もちろん門の中へは男性立ち入り禁止?。

花見小路@(京都市東山区)05.06.30 36×51cm
花見小路はいつも車や人がひしめいているため、これまでスケッチするのを敬遠してきた。しかし、ウィークデーなら案外空いており、しかも午後なら十分な日陰が確保されていることが分かった。着色していて普通の町並みに比べ色彩が豊富であることを実感した。さすが「色町」である。

松竹小路@(京都市東山区祇園町南側)03・11・01 36×51cm
京都で開かれた展覧会へ行くついでに久しぶりに祇園町でイーゼルを立てた。かつて京都で勤務していたころには無理をしてこの町で飲んだこともあるが「今は昔」の思いがする。品のよい老婦人が「おきばりやす」と声をかけてくれた。この小道は「松竹小路」というらしい。

四条花見小路の角にある一力茶屋のべんがら色の壁が祇園甲部への目印。





祇園甲部@(京都市東山区)90・12 F0

祇園甲部A(京都市東山区祇園町南側)92・05・31 F8
このあたりにはお茶屋さんなどが副業で営業しているスナックが多い。普通の民家のような玄関を入り、靴を脱いで上がる独特のスタイルで、看板すら出していない店もある。周囲はすべて木造建築だからもちろんカラオケは禁止。たまには「勤め帰り」の舞妓さんと出会う幸運もある。

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