兵庫県

小浜宿(宝塚市)

宝塚市の小浜(こはま)は戦国時代に寺内町として発達したが、江戸時代になって有馬街道、西宮街道、京伏見街道がこの地で交差していたため、宿場町としてにぎわったという。今は中国道の宝塚インターチェンジのすくそばに位置している。昔の雰囲気をかなり色濃く残していたが、95年1月の阪神淡路大震災で壊滅的被害を受けた。

小浜宿C(宝塚市小浜5丁目)11.07.23      36×51cm
悠彩会のスケッチ会がの旧小浜宿で開かれた。阪神淡路大震災で大きな被害を受け、震災後はあまり多くのスケッチポイントがないことを知っていたため、うまく日影が確保できるかどうか心配しながら出かけた。しかし、旧造り酒屋が見えるベストアングルのこの場所におあつらえ向きの日影があり、迷わず何人かで並んで描いた。

小浜宿D(宝塚市小浜5丁目)11.07.23      F6
日影で描ける次のスケッチポイントを探したがなかなかその気になる場所がない。「とんかち館」という宝塚市立の施設があり「新築の古い建物」といったイメージなので妥協して描くことにした。木工教室などが開かれているらしいが、建物から出てきた人たちが絵を覗き込んで、口々に「ここは以前、山田医院があった場所」とおっしゃる。以前はここにも魅力的な建物があったらしい。

小浜宿E(宝塚市小浜5丁目)11.07.23      F6
小浜宿には適当な昼食場所がないため、幹事さんのアイデアでこの日は宝塚駅に近い「がんこ宝塚苑」で本格的昼食会をやるという。マイクロバスが町内の神社まで迎えにくることになっている。ほかに涼しそうな場所もないので、早めに神社境内へ行くと、仲間の皆さんも同じ思いか、あちこちの木陰で描いておられる。私も木の下に入り、境内から見える小浜宿の町並みを描くことにした。かつてここには石の鳥居があったが、阪神大震災で倒壊したと聞いた。鳥居に書かれた文字から、平成18年6月、町内の方々の努力により見事に再建したことが分かる。

小浜宿B(宝塚市)05.03.27    36×51cm
05年3月に再びこの町を訪ねた。20数軒あった古い建物は阪神淡路大震災ですべて倒壊したといい、ほとんどが新しい建物に建て替えられていた。震災の被害の中で、この元造り酒屋さんと町の中心部にある豪摂寺だけが、何とか古い姿に修復したそうだ。おかげでこの一画だけが旧態を保っている。改めて震災の激しさを思い出しながらのスケッチとなった。「築250年になります。わざわざ鹿児島から業者に来てもらって引き起こしたんですよ」とこのお宅の奥さんが話してくれた。

小浜宿@(宝塚市)94.12.17 F8
悠彩会の山田将司さんとこの町に出かけた。二人で町の入り口にある神社の鳥居の前に陣取って描き始めた。やがて昼。絵をそのままにして昼飯に行き、帰って見ると絵の前に10円玉が置いてある。通りがかりの人が「賽銭」にと置いていってくれたのだろうか。初めてで最後の経験である。(05年3月、この建物は立派なプレハブ住宅に建て替えられていた。スケッチした場所にあった神社の鳥居も倒れてしまったという)

小浜宿A(宝塚市)94.12.17 F8
94年に宿場資料館ができ、町並み保存に着手した。しかし、95年1月の阪神淡路大震災でこの町も大きな被害を受けたと聞いた。その後訪問していないが、絵にした建物はどうなっているのだろうか。(05年3月、いくら探してもこの建物は見つからなかった)

94年にご一緒した悠彩会・山田将司さんからメールがあった。04年2月に再びこの町を訪ねられたという。「角の家はプレハブ風に様変わり・・。さみしさひとしおです」とのことだった。
その山田さんは2011年3月3日に急逝された。まだ60歳台だった。私を悠彩会へ導いてくれた方であり、お世話になった。記念に氏の作品を掲載しておく。


この山田さんの絵は、私の絵とともに賽銭をもらった。

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