滋賀県  
 
 
  多羅尾(甲賀市信楽町)  
 
 
  多羅尾は信楽焼の窯元が並ぶ信楽町の中心部(長野地区)から南へ10㎞ほど山の中に入ったところにある。理由は忘れたが、古くから使っている道路地図に、一度行ってみたいところを示した丸印が付いていた。たまたま読んだ本で、本能寺の変の時、徳川家康が堺から三河まで命からがら逃げた「伊賀越え」のルート上に多羅尾があることを知った。スケッチポイントがあるかどうか分からなかったが、とりあえず出かけてみると、家康に1泊の宿を提供し、その縁で旗本兼代官となった多羅尾氏の屋敷跡(多羅尾代官陣屋跡)があった。  
 
 
   
  多羅尾代官陣屋跡から(滋賀県甲賀市信楽町2018.01.07    F6  
  多羅尾代官陣屋跡へ行ってみると、石垣などの遺構は残っているが、建物は傾いた土蔵があるだけで、荒れ放題だった。たまたま出会った関係者らしい人が親切に説明してくれたが、その一部を牡丹園として整備する計画が進められていた。この絵はその牡丹園のフェンスの外から南の方向を眺めたもので、山を越えるところに近江(滋賀県)、大和(奈良県)、伊賀(三重県)の三国の境界が交わる「三国峠」があると聞いた。  
 
 
   
  多羅尾(甲賀市信楽町)2018.01.07    28×46㎝   
  多羅尾はかつては独立した「多羅尾村」だった。多羅尾代官陣屋跡は多羅尾地区の一番奥まったところにあるが、その手前の集落の中心部に交番や診療所、お寺などがあり、家数も多い。診療所の近くから見える家並みを描いた。晴天予報につられて出かけてきたのに、雲は厚く、時々日が差す時以外はとても寒い。家から持ってきた熱いお茶で暖をとりながらのスケッチとなった。いつものコピー&スキャン方式の画像が不満足なので、写真を掲載しました  
 
 
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