滋賀県

五個荘金堂(東近江市五個荘金堂町)

五個荘は近江八幡や日野とともに「近江商人発祥の地」と呼ばれている。中心部の金堂地区には、天秤棒を担いだ行商からスタートし、やがて豪商に発展した人たちの豪邸が数多く残っている。1998年12月に重要伝統的建造物群保存地区に選定された。五個荘町は2005年2月に周辺の町と合併、東近江市の一部となった。

てんびん通り(東近江市五個荘金堂町)2012.02.20     36×51cm
五個荘金堂地区の近江商人屋敷を会場として「商家に伝わるひな人形めぐり」という催しが開かれていると聞き、Fさんに声をかけて一緒に出かけた。Fさんはひな人形巡り、私は町並みスケッチとそれぞれ勝手に過ごすことにした。「てんびん通り」との名前がついたこの場所で最初の1枚。ここでは、まだ観光客などがやって来ないずいぶん昔にスケッチしたことがあり「いつまでも変わらないなあ」と思いながら描いた
この日はよく晴れていて、日差しの中だととても暖かい。スケッチしている時、右側のお宅の屋根の雪が滑り落ちた。ちょうどその下にガレージがあり、気の毒なことに雪が落ちた衝撃でガレージの屋根のフレームが大きく曲がってしまった。

あきんど通り(東近江市五個荘金堂町)2012.02.20     F6
五個荘金堂のメーンストリート・あきんど通りを北へ進んでいくと、いかにも近江らしい茅葺き屋根の民家があった。実際は茅葺きではなく琵琶湖の葦を使った葦葺きで、建物全体が「うどんとそば」の店になっていた。近江らしい屋根の特徴は破風のてっぺんに独特の妻飾りがあること。しかし台所部分の屋根が一段低い瓦葺きになっているところは、大和でよく見られる大和棟にも似ている。西山夘三元京大教授の著書「滋賀の民家」によると、このお宅は200年以上前に建てられたものだという。

寺前・鯉通り(東近江市五個荘金堂町)2012.02.20     F6
五個荘・金堂地区は、重要伝統的建造物群保存地区に選定されてから大いに注目され、観光客が詰めかけるようになった。町内の道に名前がないと何かと不便なので、通りに名前をつけたらしい。お寺の前にあるこの道は、横を流れる水路にコイが泳いでいるので「寺前・鯉通り」と、とても分かりやすい名前になったようである。

あきんど通りA(東近江市五個荘金堂町)2012.02.20     F6
この場所は「あきんど通り」。「ゲタ音」という履物・雑貨店の店名が気に入り、最後の1枚。背中から日差しを受け、気持ちよくスケッチした。

五個荘金堂B(五個荘町)04・08・22     36×51cm
多くの屋敷は広大な敷地が塀に囲まれているため内部をうかがうことはできない。しかし、道路に面した土蔵の丁寧な仕上げからその財力を知ることができる。屋根裏までを白漆喰で固め、腰の部分には焼いた舟板が使われている。

10年ぶりにこの町を訪ねた。以前は町を歩く観光客はほとんど見かけなかったが、公開家屋や観光施設が増えたため、駐車場には観光バスまで止まっていた。

五個荘金堂A(五個荘町)94・05・02         F8
こんな場所から描いてしまったが、このお宅の玄関周りの重厚さが忘れられない。93年10月に滋賀在住のSさんを誘って出かけたが、未完成に終わったため、94年5月に再び訪問した仕上げた。

五個荘金堂@(五個荘町)93・08・21          F8
ちょうど夏休みとあって道端の小川で子供たちが水遊びしていた。絵を描いている姿がもの珍しかったのか、そばへ寄ってきて「おっちゃんどこから来た」「何を描いている?」などと質問攻めになった。なかでも活発そうな女の子が「私を描いて」という。「よっしゃ」と言ったのが運の尽きで、絵は失敗してしまった。私には人物が描けないことを忘れていた。

東近江市五個荘山本町へ
「近畿の旅3」(奈良、滋賀)の目次へ