三重県

九鬼(尾鷲市)

尾鷲市街地でのスケッチを昼で切り上げ、もう1カ所どこかで描きたいと思った。少し迷ったが、せっかくだからもう少し足を延ばして同じ尾鷲市の九鬼へ行くことにした。九鬼は戦国時代に活躍した九鬼水軍ゆかりの地だが、天然の良港のため江戸時代は諸国の廻船の寄港地となり、明治時代には大阪〜名古屋間の定期船も寄港したという。前日に訪問した須賀利と似たような雰囲気かなと思っていたが、町の規模はかなり大きい。

九鬼@(尾鷲市)11.09.29     36×51cm
JR紀勢線九鬼駅の近くを通って集落へ向かうと、湾の正面に九鬼の家並みが見渡せる場所へ出た。天気はよし、漁業作業場の日影を見つけてスケッチを開始した。一番左の白いビル(後で調べたら電話局だった)から楽しく描き始めたが、すぐに家並みが紙からはみ出すことに気がついた。結局、同じような絵をもう1枚描く破目になった。

九鬼@(尾鷲市)11.09.29     36×51cm
@と同じような絵だが、Aは一番絵になる右端の岬の突端をまず描き、そこから左側へ家々を順番に描いていった。同じ場所から同じような絵を続けて描き始めたので、Fさんはさすがに付き合いきれないと、集落の先っぽにある「九木神社」へお参りに行った。九木神社は九鬼水軍と縁があるが、「九木」という字を使っている。Fさんはその境内で、偶然、九鬼家の末裔という老婦人に出会い、いろんな話を聞いたという。90歳を超えたその老婦人は遠方に住んでいるが、ずっと神社の面倒を見てこられたそうである。江戸末期まで大名家であった九鬼家と縁続きの人に直接話を聞くチャンスなどめったにないことである。ずいぶん帰りが遅かったが、その間私は、ただただ家々を描き続けていた。

九鬼B(尾鷲市)11.09.29     F6
このポイントからは、06年8月にひまつぶしさんが描かれている。座った場所のすぐ後ろに九鬼中学校があった。集落の少し高い場所には九鬼小学校の建物も見えた。ひまつぶしさんのリポートでは、小学校、中学校とも生徒数は6、7人だが健在とあった。しかし、中学校は09年3月に、小学校は10年3月にそれぞれ閉校になってしまったという。今はJR駅で2つ先、賀田にある小学校、中学校へ通っているらしい。地図で見るといかにも遠い。過疎地の子供は気の毒である。

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