京都府  
 
 
   六原学区(京都市東山区)  
 
 
  「六原学区」というのは、東西は清水寺から鴨川まで、南北は五条通と松原通の間の地域。”学区”は京都市独特の呼び方で、行政区ではないが、自治組織としていろんな活動をしている。六原学区には六波羅蜜寺などのお寺や神社がたくさんあり、また古い町家が連なる路地も多い。学区の活動として空き家対策や町づくり活動を行っており、その一環として名前のなかった路地や小路に名前を付け、銘板を掲示している。  
 
 
   
  山城町の路地(京都市東山区)2018.03.25     F6  
  この日、京都で、知人の出展するグループ展2つが同時に会期最終日だった。極めて気持ち良さそうな天気だったので、展覧会鑑賞のついでにスケッチもすることにした。たまたま乗った京阪電車が急行で清水五条駅に止まったため、そこで下車、ぶらぶらとスケッチポイントを探しながら歩いていたら、山城町でこの路地に出会った。以前描いたことがある「あじき路地」の二筋北側の路地だが、残念ながら名前が分からない。  
 
 
   
  「昭和小路」(京都市東山区五条橋東4丁目)16.12.05     F6  
  清水寺でのスケッチの前後に、茶わん坂、清水坂、産寧坂、二年坂、龍馬坂、八坂の塔など周辺の有名スケッチポイントも歩いてみた。しかし、どこでも以前描いた絵が頭に浮かび新鮮さを感じない。気分をを変えて、東大路通より西側の「六原学区」で描くことにした。五条通近くで「昭和小路」との表示のある一画に出た。狭い道の両側に古い町家が軒を連ね、文字通り昭和の雰囲気が漂っている。座った場所の家の奥さんが「もらい物ですが」と言いながら、何とビニール袋一杯の柿を差し入れしてくれた。住んでおられる人の心まで”昭和”であった。正式な町名は五条橋東4丁目というらしいが、以前は昭和小路町と呼ばれていたようである。   
 
 
   
  「うらんちょ小路」(京都市東山区小島町)16.12.05     F6  
  東大路通に面して東山区役所と東山消防署があるが、その南側は道路から西向きにいきなり階段があり、道路とはずいぶん落差がある。「高低差マニア」のタモリが興味を示しそうな地形で、遠くには西山の連なりが見える。石段を下りたところの家に「うらんちょ小路」の銘板が取り付けてあった。六原学区には約90の路地があるが、そのほとんどに名前がなかったという。そこで町づくり活動の一環として、各路地のうち行き止まりの道には「〇〇路地」、通り抜けできる道には「〇〇小路」といったに名前を付け、同地区に住む陶芸作家の協力で銘板を作ったそうだ。  

 
   
  「うらんちょ小路」から(京都市東山区小島町)16.12.05     F6  
  谷底みたいになっている「うらんちょ小路」から東大路通の方向を見上げると、斜面に家々が並び、ちょっと面白い構図なのでもう1枚描いた。東大路通は東山区役所辺りではずいぶん高いところを通っているのが分かる。絵の左側の急坂はいかにも車を止めにくそうだが、月極駐車場になっており、それを上がると東大路通に出る。  
 
 
   
  「あじき路地」(京都市東山区山城町)16.05.03      F6  
  五条通に近い大黒町通松原下ルの山城町にある「あじき路地」を訪ねた。スケッチ仲間の村木美彦さんに教えてもらった場所で、私自身はその存在を知らなかったが、テレビなどでも取り上げられかなり有名らしい。明治時代に建てられ老朽化のため空き家になっていた長屋を改造し、2004年に全国から若い職人などを募って入居させたという。ショップを兼ねたものづくりの基地である。路地の突き当たりまで行き、その場所から振り返ってスケッチした。時々買い物客らしい人がやってくる。なかには舞妓姿の人もいたが、まさか本物ではなかろう。  
 
 
   
   五条橋東4丁目(京都市東山区)05.07.07    36×51cm  
  五条通(国道1号線)は戦時中に拡幅され、道の南側の建物は立ち退きになった。しかし、北側はそのまま残されたため、現在でも清水焼を売る店が建ち並ぶのは道の北側だけ。交差する細い道を覗くと、陶磁器店の大きな板壁の向こうに昔ながらの住宅が並んでいる場所があった。  
 
 
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