京都府

中川(京都市北区)

周山街道沿いにある中川は北山杉の産地として知られる。集落を貫流する清滝川に面して、かつて磨き丸太の加工や保管を行っていた建物が並ぶ。現在は加工などは別の場所に移り、使われていない。また、かつて杉皮葺きだったという屋根もトタン板に替わっているが、赤いトタン屋根と周囲の杉の緑との対比は絵になる。こうした産業遺跡を後世に残そうと地区全体を文化庁の「重要文化的景観」へ選定してもらおうという取り組みが2011年春に始まったという。

   
  北山杉の里19ー@(京都市北区中川北山町)19.10.30   36×51p  
  この年の10月はいつまでも暑かった。月末になってようやく秋らしい気候になったのでスケッチに出かけることにし、行き先として2011年初夏に与堂さんの絵に刺激されて出かけた北山杉の里・中川を選んだ。前回と同じ場所に車を止め、通りかかった近所の方に「スケッチに来たのですが、どこか駐車場はありませんか」と聞くと「そこに止めておいたらよい」と言われる。ちょうど絶好のスケッチポイントなので、その言葉に甘え、車のそばから1枚描いた。当然前回とほとんど同じアングルの絵となった。  
 
 
   
  北山杉の里19−A(京都市北区中川北山町)19.10.30   F6  
  ”駐車OK”のサインを出してくれた方に「どこか高い所から見下ろすポイントはありませんか」と聞くと、「この道を上がれば見晴らしは良い」と目の前の坂道を示された。家々の間を抜け、集落の上まで登ってみると、とても素晴しいアングルが得られた。近景の民家のトタン屋根と谷底の倉庫の屋根の対比が面白い。ここで描いた杉丸太倉庫は1枚目に描いたのとは別のもので、後で確かめると「北山銘木協同組合」の看板が出ていた。今は使われていないのは同じである。  
 
 
   
  北山杉の里19−B(京都市北区中川北山町)19.10.30   F6  
 
中川北山町の集落の一番高いところに宗蓮寺というお寺があり、その下を迂回する道を歩いて行くと、突然視界が開け、家並みが一望できるところへ出た。杉丸太倉庫がある場所より少し北側で、残念ながら倉庫群は見えない。中川は1948(昭和23)年に京都市に合併されるまで葛野郡中川村という独立した村で、この辺りがその中心部だったらしい。今でもこの付近に北区役所中川出張所があり、「中川学校前」というバス停もあった。ただし中川中学校は1969(昭和44)年に閉校、中川小学校は2013(平成25)年3月に休校となっている。



北山杉の用途には、床柱などに使う「磨き丸太」のほか、庭木として重宝される「台杉」がある。宗蓮寺の手前に、樹齢400年という「北山大台杉」があった。現在、台杉は観賞用が主だが、かつてはこの方式で植林することなく杉材を育てる方法として採用されていた。(→→写真)
 
 
 
   
  北山杉の里19−C(京都市北区中川北山町)19.10.30   F6  
 
再び清滝川沿いに下りて、川下側から杉丸太倉庫群を描いた。先ほど高い所から見下ろして描いた「北山銘木協同組合」の看板を掲げた倉庫のほか、最初に描いた倉庫も含めて倉庫群がズラッと並び壮観である。倉庫の入り口にある説明板によると、これらの倉庫は1935(昭和10)年ごろに建てられ、昭和の終わりごろまで磨き丸太の加工や保管に使われてきた。乾燥や保管に便利なように3階建て吹き抜け構造になっている。


「昭和30年代の林業倉庫」(奈良文化財研究所・本間智希さんの「北山杉の里・中川の調査研究を通して」と題したリポート〈2019年1月〉に掲載)。活気のある当時の様子が伺える。
 
 
 
   
  北山杉の里19−D(京都市北区中川北山町)19.10.30  36×51p  
  清滝川の上流側に移り、川の流れを入れて杉丸太倉庫群を描いた。秋の日は短い。もう1枚描きたいポイントもあったが、結構枚数も描いたので、これで引き揚げることにした。  
 
 
   
  北山杉の里19−E(京都市北区中川北山町)19.10.30  F6   
  引き揚げる前、駐車した場所の一段上にある空き地へ上ってみると、ずらりと並ぶ杉丸太倉庫が一望できた。これも絵のなるなあと思ったが、家までの距離を考えてスケッチはあきらめ、写真を撮るにとどめた。せっかくだから、その写真を元に1枚描いてみた。鉛筆で書くと他の絵と同じようになってしまうため、ボールペンを使って遊んでみた。  
 
 
北山杉丸太倉庫@(京都市北区中川北山町)2011.06.03    36×51cm
与堂さんのホームページに京都・北山の中川にある北山杉丸太倉庫の素晴らしいスケッチが掲載された。以前たびたび中川を通ったことがあり、丸太倉庫も印象に残っていたが、集落を通過する国道162号(周山街道)の道幅が狭く、交通量も多いという印象があり、つい敬遠していた。地図を見るといつの間にか集落を迂回する「中川トンネル」ができており、開通は10年以上前の2000年という。それなら…と、梅雨の晴れ間にさっそく追いかけた。与堂さんの絵とは比べるべくもないが、建物の迫力には十分に満足した。

中川の民家@(京都市北区中川北山町)2011.06.03     F6
北山杉丸太倉庫を描いた後、集落内を北へ歩き、別のスケッチポイントを探した。北山杉で栄えた集落なので家々の造りはみな立派。清滝川に架かった橋の上からふと上流を眺めた景色が気に入った。清滝川の清流と赤いトタン屋根の家々との対比が面白い。屋根の勾配が緩やかなのはかつては杉皮葺きだったためだろうと思う。

中川の民家A(京都市北区中川北山町)2011.06.03     F6
北山杉は床柱などの用途に向けて「磨き丸太」に加工するほか、庭木用として「台杉」に仕立てる。清滝川に架かる橋の上から描いた1枚目は、一番気に入った左端の家並みだけをズームで描いたが、「台杉」を庭に植えたお宅は紙からはみ出してしまった。せっかく北山杉の産地に来たのだから「台杉」のあるお宅も描かねばと思い、ワイドで2枚目を描いてみた。

北山杉丸太倉庫A(京都市北区中川北山町)2011.06.03     36×51cm
最後に清滝川に沿ってずらりと並ぶ丸太倉庫を一番川下にある橋の上から描いた。この日は日向ばかりで描いていたので、最後は日影で描きたいと思った。中川の集落は谷が深く、午後遅くなると西側は山の陰で日影になる。この絵を描いた橋の上まで日影が伸びてきてとても快適だった。

北山散歩へ
「近畿の旅1」(兵庫、京都)の目次へ