兵庫県

ふるさと散歩2射添(香美町村岡区)

私のふるさと「射添村」の名前は1955年(昭和30年)に隣の小代村との合併でなくなり、1961年(昭和36年)に「村岡町」の一部になった。「吸収」され長年馴染んだ名前が消えることはやはり寂しい。さらに平成の大合併で村岡町の名前も消えて香美町村岡区の一部となり、「射添」の文字が残るのは小中学校名などだけとなった。09年4月には統合で「射添中学」の名前も消えた。旧射添村のあちらこちらでスケッチした。

   
  長板A(香美町村岡区)19.08.22    F6     
  野暮用で故郷の村へ帰った。用事はすぐに終わったので、近くでスケッチした。ここは故郷村から4qほど離れた場所にある「長板」という集落。この絵は少し高い場所を通る国道9号の道端からの俯瞰だが、田んぼは相当色づき、すでに秋景色になっていた。  
 
 
   
  熊波A(香美町村岡区)19.08.22    F6  
  ここは、子供のころに住んでいた「柤岡」(けびおか)から山を下ったところにある「熊波」で、これも国道9号線からの遠望。この辺りは「但馬牛」の産地。以前は農耕用に各家で1頭ずつ飼育し、子牛を売って現金収入にしたものだが、今は農耕作業はトラクターか耕運機に譲り、牛は特定の家が多数をまとめて飼育するようになった。集落の手前にはそうした牛の飼育場の建物が建っている。  
 
 
但馬大仏あたり・秋(香美町村岡区川会)09.10.27    36×51cm
野暮用で故郷へ帰ったついでに、但馬大仏あたりの紅葉を描いた。巨大な大仏殿と五重塔が完成した時「変なものが山の上にできた」と思ったものだが、だんだん目に馴染んできて、この景色を見ると故郷へ帰った気がするようになった。これで、同じアングルで描いた春夏秋冬の絵が4枚そろった。

但馬大仏あたり・春(香美町村岡区川会)08.04.15   36×51cm
所用で帰省したついでに春爛漫の但馬大仏あたりを。これで全く同じアングルの冬、夏、春の絵がそろった。チャンスがあれば秋景色を描いてみたい。

但馬大仏あたり・夏(香美町村岡区川会)07.08.14   36×51cm
下の冬の絵とまったく同じアングル。但馬大仏の建設工事は1986(昭和61)年から7年間かかり、1994(平成6)年4月に開眼法要を行なった。

但馬大仏あたり・冬(香美町村岡区川会)06.01.13   36×51cm
川会は旧射添村の役場や農協などがあり、村の中心だった。今は普通の集落になってしまっている。山の上にある長楽寺に大阪のタクシー会社のオーナーが但馬大仏と五重塔を寄進したため、珍しい景観になった。

熊波@(香美町村岡区)01・09・23       36×51cm   
私が育った柤岡集落から山を下ったところにある熊波という集落。同じ小学校に通っていた同級生も多い。黄色い田んぼを期待していたが、残念ながらすでに稲刈りはすべて終わっていた。最近、稲刈りの時期がだんだん早くなるような気がする。

かつて自宅の最寄のバス停は県道沿いにある「長板」にしかなかった。自宅から4kmはある。どこへ出かけるときも約1時間かけてこの村まで歩いた。



長板@(香美町村岡区)89・11・03    F0

通っていた中学の近くにある「入江」という集落。毎日、往復12kmを自転車と徒歩を組み合わせて通学した。



               入江(村岡町)89・11・03     F8 

旧射添村は日本海に注ぐ矢田川に沿って村々が連なっている。そのうちの一つ「高津」集落。



高津(香美町村岡区)89・11・04       F0

高原の集落・宮神。「みやんがみ」と読む。周囲の山が低く見える。



              宮神(香美町村岡区)89・11・04       F4

私が育った柤岡を上回る『田舎度』を誇る小城集落。伝統ある集落だが、冬はあまりにも生活しにくいので、麓に住み、春から秋まで農作業のためにここに住む。



小城(香美町村岡区)89・11・04        F0

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